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『じゃあこちらも言わせてもらおう。婚約はお前がプロポーズした時点で成立している。これを一方的な事由で破棄するとなれば慰謝料も発生する。結婚に当たり準備したもの、花嫁の精神的苦痛に値する金額。こちらで弁護士を立ててお前に請求する。それにお前が応じないのなら裁判沙汰にすることもできる。そしたらお前の人生終わりだろうな、一般的な企業はグレーな会社員など簡単に捨てるだろう。そしたら今助手席で待ってる彼女もすぐにお前のもとを去るだろうしな』
『う……』
『腕の立つ弁護士なら、そうだな……200万は下らないだろうな。それでも一方的にこの指輪を奪うのか? せめて慰謝料にこの指輪ぐらい置いていったらどうだ?』
所長は私に背を向けているからどんな顔をしているかは分からない。でも早口でまくしたてるのは彼が怒っているときの癖だ。そもそもあの禁句を耳にした時点で彼の感情は沸点に達しているだろうし。
所長の背中(正確にはお尻だけど)から私は顔を出して彼を盗み見た。ひくひくと眉を引きつらせて、唇はわなわなと震えている。
『それでもほしいなら持っていけ』
『……くそ。いらねーよ、ンなもの!』
そう捨て台詞を吐くと彼は踵を返してオフィスを出て行った。助手席の彼女はにこやかに手を振って彼を出迎える。このまえうちに来たときは暗くて見えなかったけど、お嬢様風の幼い顔だった。近くの大学に通う学生だろうか。美人というよりは可愛い、そんな女の子だった。彼が運転席に乗り込むとブオオンと轟音を響かせて車はバウンドしながら車道に出て、瞬く間に消えていった。
……それがつい、一昨日の出来事である。所長が私の失恋を知った、というよりは最後のダメ出しをした張本人なのである。
でも私は正直、迷っていた。若い女の子に尻尾を振るあんな男と思いつつも、軽いノリで女の子をエスコートするあたりは実は遊びで、時間が経てば私の元に戻って来るんじゃないかと期待していたから。ブンブンと横に頭を振る。彼はあの女の子を抱いて妊娠させたのだ、戻るわけがない。仮に戻ってきたとしても慰謝料か養育費は発生する。彼が彼女と別れても、彼女のことは一生ついてまわる。認めたくないけど事実なのだ。胸の奥がキリリと痛み出した。
「今夜ヒマか?」
「はい」
私が返事をすると、所長は右手でグーを作って軽く上げた。
「ホテルのビアガーデンなんかどうだ?」
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