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「下心見え見えですよ」
「先輩の大切な娘さんを襲うバカがどこにいる。あそこのホテルのデザインは俺も関わっている、ちょっと懐かしくなってな。おごるから付き合え」
「そういうことなら遠慮なく」
「割には嬉しそうだが」
「いえ」
なんて答えつつも私は心の中でガッツポーズをしていた。この辺りでは高級な部類に入るレジャーホテルで、室料も一般のホテルの倍はする。そこの付随するバーやプール、ジム、エステ、チャペルも当然ながら質の高いサ-ビスを提供している。そこで開催されているビアガーデンなら、つまみもビールもマズいわけがない。所長は、じゃあ今日は定時で事務所を閉められるよう、特急で仕事を仕上げよう、と銀色に光るアームバンドを締め上げた。
*―*―*
壁の時計は19時を示した。カチン、ヒュー、ヒュルヒュルウと天井から音がして顔を上に向けるとシーリングファンがちょうど動きを止めたところだった。ミシミシという床の方向をみると冷蔵庫のような大きな物体が戸締りをしていた。振り向きざまに冷蔵庫は黒い鞄を手にした。
「榎本、いくぞ」
「えっと、外回りですか?」
「飲みにいくと言ったろう? 忘れたのか」
「そうでした、はい」
私は慌ててパソコンの電源を落とし、急いで帰る支度をした。引き出しから指輪の入った小箱を取り出し、カバンに突っ込む。持っていてもしかたないのに、惰性でつい、やってしまう。椅子から立ち上がり、裏口に向かう。所長がドアを引いて待っていた。そそくさと外にでると所長はダウンライトを一つ残して照明を落とす。警備会社のアラームをセットすると鍵で施錠した。暮れかかった空、真っ暗ではない。
裏口には所長所有のSUVが駐車してある。助手席。私は車高の高いそれにスカートを少しずりあげて乗り込んだ。飲みに行くときはいつもこうだ。所長は帰りに代行を頼む。電車通勤の私は終電に間に合えば電車だった。
ゴホン。運転席から聞こえる咳払い。
「パンツ見えそうだぞ」
「すみません。見えそうで見えないのがよろしいかと思いまして」
心なしか所長の頬が赤い気がした。運転席のパネルの灯りが所長の顔に反射したか、エアコンの効いた室内から湿度の高い外気に触れて汗をかいたか。
「……馬鹿モンが」
ボタンを押してエンジンをスタートさせると、車はゆっくりと動き出した。
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