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彼は――ジンじゃない。
明仁くんは俺を見つけると、祈りを中断して駆け寄ってきた。
昨日とは打って変わって笑顔が消え、切羽詰った様子だ。
「光也さん……」
「どうしたの? なにかあった?」
思わず聞いてしまうほど、明仁くんは顔色が悪かった。
「昨日、あの後祖母に聞いてみました、十字架のこと。そうしたらやっぱり、光也さんが持っているものは、亡くなった大叔父のものだったそうです。大叔父が亡くなる前に、可愛がっていた光雄さんにあげたんだって」
「そう……」
明仁くんの話に、俺の胸中はにわかに曇り出した。
俺の様子はおかしかったはずだ。しかし明仁くんはそれ以上の気がかりがあるのか、俺の態度を気にも留めず、思いも寄らぬことを口にした。
「光也さん、お願いです。あの十字架、少しだけ貸してもらえませんか?」
「え?」
「僕の祖母、少し前から入院してるんです。それで僕、祖母の代わりに、毎日お祈りに来てたんです。僕は信者じゃないけど、そうしてると、おばあちゃんが喜んでくれるから……」
苦しそうに語りながら、明仁くんの動揺は強くなっていた。ずっと祖母と言っていたのに、おばあちゃんと言葉が変わった。
それは、俺にも強い不安を伝えた。
「おばあさん、良くないの?」
控え目に尋ねると、明仁くんは大きな瞳にいっぱいの涙を溜め、小さく何度か頷いた。
会ったことのない、明仁くんのおばあさんのことを思って胸が痛む。じいちゃんが、意識不明になった時の苦しさが思い出された。
「明け方から、危篤状態なんです。それでずっとうわ言で、お兄さん……仁さんのことを呼んでて……。おばあちゃんは、若くして亡くなったお兄さんのことが、大好きだったんです」
俺は、その時ほど自分を嫌ったことはない。
仁さんの名を聞いただけで、胸が真っ黒い汚いもので満杯になり、人として当たり前の優しさだとか、思い遣りが失われてしまった。
「だ、だから……、お兄さんの形見の十字架を見たら、少しは気力が戻るかもって……」
きっときちんとした家庭で育っただろう明仁くんは、親しい肉親が危篤という状況でも、必死で取り乱さぬよう堪えていた。俺より一つ年下だというのに、彼はずっと大人で、健気で立派だ。
対して俺は、ガキでバカで最低だった。
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