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真夜中、 闇の中に滑り出る。 目的地は廃校である。 彼女が知る限り、 近辺で一番の高台に鎮座しているのが、 以前通っていた母校であった。 諸々の事情で廃校となり、 寂れた校舎には何人も近づこうとしない。 忘れられた場所を克深は度々、 訪れていた。 警備怠慢で管理されなくなった建物に、 侵入することは容易い。 だが、 常に幾許の緊張と高揚が浮遊する。 得体の知れない輩が住み着いたりすることもあるが、 気配はなかった。 冷たい床敷材に硬い足音が響いて、 ゆっくりと階段を上っていく。 綺羅綺羅星を鼻歌で唄いながら、 克深は踊るように、 屋上までの最後の階段を駆け上る。 今、 最も空に近いところにいるのは、自分なのではないだろうか? 高台にある学校の校舎は、 錯覚するほどに手の届きそうな雲が、 近く見えるのだ。 「少し遅刻だ」 いつも、 彼女が寄りかかって空を見上げている手すりに人影があった。 「求人札を?」 低い声と少し丸まっているが高い背中。 振り向かないままだが、 どうやらまだ若い。 「聞いてもいいですか」 克深は懐から赤い紙片を取り出して、 目の前に持ってくる。 男は第三の目があるのか、 気配でわかるとでもいうように振り向かなかった。 「どうして林檎を?」 許可を待たず、 問うた。 彼女が仲介人から託された求人札は、 緻密に折り畳まれた赤い折り紙の林檎だったのである。 「ここからなら、よく見えただろうな」 フォーマルハウトのことだろうか。 南の秋空で唯一目立つ星である。 みなみの魚座は、 秋の四辺形と呼ばれるペガスス座から視線を真っ直ぐ下げた位置、 地平線近くに見えると言われる。 秋の夜空には四等級以下の星ばかり輝いているのだが、 中に一つだけ一等星が存在する。 かつて、 秋の一つ星と呼ばれていたそれが、 みなみの魚座、 フォーマルハウトである。 克深は実際には見たことがない。 彼女だけではなく、 誰もが見たことがないのだろう。 空が厚い雲で覆われて以来、 頭上で本物の星々を観察することは適わない。 全ての星座は雲の上にある。 そう、 文字通り。
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