3人が本棚に入れています
本棚に追加
春の風が山を走る。青空に所々浮かぶ白い雲。
その下には湖が広がっている。それを羽柴軍の
軍師・黒田官兵衛が眺めていた。まさか今が
合戦中だとは誰も思うまい。兵達の荒々しい
雄叫びも、刃と刃が激しくぶつかる音も、馬の
いななきも無い。それは沈黙の合戦だった。
堤防を築き川の水を引き込んで人工的に作った
広い湖の真ん中にポツンと取り残された城。
その中では清水宗治率いる毛利軍3千が援軍に
よる解放を一日千秋の想いで待ち続けていた。
だが、その希望は実は既に断ち切られていた。
「闘って死ぬなら誉となるものを。敵ながら
何とも気の毒な連中よ。」
官兵衛は呟き、そして
「すべては俺の天下の為だ、許せよ。」
そう言うと目に映った細枝をポキリと折った。
織田信長の命令で1577(天正5)年から
始まった中国攻め。大詰めを迎えた5年後、
羽柴筑前守秀吉を総大将に2万5千の軍勢が
毛利軍3万と激突する…ハズだった。
だが、羽柴軍は毛利軍の小城を落としながら
侵略をしたものの、各地で兵糧攻めを行い、
高松城攻略にも時間をかける。堤防を12日間
で築くと川の水を引き込み、広大な湖を完成
させてしまった。これでは羽柴軍との決戦に
駆け付けた毛利軍主力もどうにも出来ない。
そしてこれは秀吉から難題を出された官兵衛が
大陸の古い合戦を参考に考案した戦術だった。
中国攻め出陣3日前、秀吉は官兵衛を呼んだ。
「いよいよ本格的に毛利を攻めねばならぬ。
されどこの戦いよりもっと大事な戦いに備えて
兵力も温存せねばならぬのじゃ。官兵衛、相手
と闘わずに長く合戦を続ける方法を考えよ。」
天才軍師と呼ばれた竹中半兵衛亡き後、羽柴軍
の戦術は黒田官兵衛の手に委ねられていた。
無理と答えれば秀吉は「竹中半兵衛さえ生きて
おったら」と落胆して言うに違いなかった。
最初のコメントを投稿しよう!