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「すごいわねえ、今、私はあの栄詳出版の本社ビルの中にいるのね」
裏受けの方は狭いエレベーターなので、母を真ん中に3人立つとほとんどもう一杯だ。
「佐久間伯父さんに会いに来たことはないの?」
「ないわよ。呼んでくれないもの」
拗ねたような言い方に笑いそうになった。たしかに伯父さんはプライベートでは優しい人だが、仕事への姿勢は人一倍厳しかった。
「じゃ編集部に行ってみるね」
8階のボタンに指を伸ばす。
「そこは理佐の元職場?」
「そう」
「もしお邪魔でなければ、せっかくですし永嶺さんの職場にもぜひお寄りしたいわ」
え? と私と怜が母の頭越しに視線を合わせる。
「どんな本を作ってらっしゃるのかしらと思いまして」
「いや僕の部屋は見ても面白いような部屋では……」
そう言いながら怜は母の頭越しに、私に声を出さずに唇の動きだけで (まだ説明してないの?) と聞いてきた。自分を指さしながら。
ぶんぶんと首を横に振る。
怜が軽くのけぞったがもう後の祭り。母が 「何階なんですか?」 と嬉しそうに聞いてきた。
「えっと、あ、じゃあ、あれをお見せしようかな」
怜が10階のボタンを押しながら携帯を手にした。
『アロー? シモン? 頼みがあるんだがーーー 』
そして何やら早口で話し出した。
「これもしかしてフランス語? 」
母が私の耳に口を寄せて聞いてくる。
「そうだね」
もちろん内容は私にもわからない。
「あなたの彼氏、いったい何か国語しゃべれるの? 」
母の目がまた驚きで丸くなった。
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