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「もう時間だからお開きにしようか」
武の口調は穏やかだったが反論を許さないものだった。
武が止めたのも道理だ。今回の勉強会で発表を担っていた慎が事前に用意した資料は下書きレベルのお粗末さ。口頭で付け足しと訂正を繰り返し、板書した簡単な数式の解も間違っていた。
天才武はちょくちょくポカをする。対して慎は数字が絡むことで間違いをおかしたことはただの一度もない。慎だけが武の誤りを指摘できたのに、この日の彼は全く精彩を欠いていた。
「そんな日もあるさ」と出席者の何人かは順番に彼の肩を叩き、武も「そんな日もあるさね」と口にしたが、本心は別だった。
散会後、会議室にふたりきりになった室内で、武は上司として言い渡した。
「仕事、しばらく休んでいいよ」
武がぽんと放つ言葉のつぶてだ。
「気の抜けた指導されると僕たちも学生にも迷惑。代行が必要なら言って。君以外変われない仕事だけ片付けてくれればそれでいいから」
返す言葉がなかった。
「――少しでも側にいてやんなさい」
もういいよ、と片手で払われ、慎は立ち去るしかない。
ドアノブに手をかけた時、武は小さく、まるでひとりごとのようにつぶやく。
「どうなの、茉莉花さん」
「時間の問題だ。――おそらく、週単位ではなく、日単位で」
「そうかあ……」
背もたれに身を預ける。椅子がギシッと軋み音を立てた。
「武君が茉莉花を気にかけるとは」
「ん?」
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