第1章

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「ええ、私は気の毒だなどとこれっぽっちも思っていません、いい気味だと、バチが当たったと思っています。人の道に外れた者には見合っていると。――こう言えば満足ですか」 「ついに言ったな」 「ええ、あなたが言わせたのです」 「ああ、長くかかったが」 房江は発止と慎を見返した。挑むように迷いなく、瞳は一点の曇りもない。 一歩も退く気のない、初めて見る妻の表情は険しく、固い。 しかし――美しい。 ここまで凜とした妻の表情は見たことがなかった。 一瞬怯んだ慎は指先を彼女の目の前に据えて、怒鳴った。 「いいか、覚えておけ。私の妻は茉莉花ひとりだけだ」 「何を世迷い事を」 澄んだ声が応える。 「正義は私にあるわ」 「正妻の正義か」 「そうです、そして義務も果たしてきました」 言葉を切り、飲み込んだ言葉は口にせずとも慎に伝わる。 あなたは果たしてこなかったけれど。 「義務と権利か――成る程、正妻の権利とやらか。くれてやる、名誉も何もかもお前が望むものを。だが、覚えておけ、私は愛する者のためだけに自分を捧げる。少なくともお前にではない」 うつむき、目を閉じた房江はゆっくりと面を上げた。 その表情に慎は瞠目する。 先程の美しさは影をひそめ、いつもの能面のような、何の感情も読み取れない房江に戻っていたからだ。 ――この顔はどこかで見たことがある、いつだったか。過去の記憶を探る慎に彼女は口を開く。 「愛する者――口ではそう言うけれど、あなたは愛することを知らない人だわ。過去にも。たった今も。あなたは誰も愛していない」 「貴様は知っているというのか」 「少なくともあなたよりは」 「私は茉莉花を愛している、妻として」 ほほほ、と形の良い唇を開いて房江は笑った。 「ほらごらんなさい。何にもわかっていない。そうやって私を貶めたつもりなんでしょう? あなたは人を傷つけることは誰よりも上手、自分だけ良ければそれでいい人なのよ」 黙れ! 一喝より早く、彼の手の平は翻り、鈍い音と共に房江を打ち据えた。 女に手をあげたのは、彼の生涯で初めての事だった。
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