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「酒田さーん。あがりました……って」
タオルで頭を拭きながらリビングへと歩いていけば、珍しくソファの上で酒田が寝息を立てていた。いつも自分よりも早く起きて、遅く寝る人だから、こうして寝顔を見るのは初めてだった。ソファの端に寄りかかるようにして眠っている酒田は、起きているときにも増して若く見えた。
”こうしてると、俺とあんまに年変わんない気がするんだけどな……”
寝顔は誰しも、いくつになってもあどけないのだろうか。無防備な姿に、自然と笑みが漏れると同時に、邪な感情が湧き上がってくる。
「…………」
人工的な着色料の色ではなく、ほんのりと赤く色づいた唇の間から、ちらちらと赤い舌が覗く。白い歯と対比され、妖艶なほどのその赤に、ごくりと喉を鳴らしてしまう。酷く、喉の渇きを感じた。その唇を己のものでふさいでしまえば、その渇きが癒されるかのような錯覚すらしてくる。赤い、甘い果実がそこに在るかのように。何かに憑かれたように有馬がその唇に指を伸ばし、触れようとしたその瞬間。ぽつりと、酒田の頬に髪から滴った雫が落ちた。その冷たさに、酒田がうっすらと瞼を開ける。
「あ、れ……有馬、くん……?」
「あ、の、えっと……!こんなとこで寝るとよくないっすよ、酒田さん……!風呂、空いたんで、どうぞ入ってゆっくり疲れを落としてください!」
「……あぁ、そっか。俺、ちょっとうとうとしちゃってたんですね。有馬君は、もう寝るんですか?」
「えっと、そうっすね、昨日あんま寝れてなくて眠いですし!お先に寝させてもらいますね、おやすみなさい酒田さん!」
それだけ言い残してなるべく不審に見えない程度の早足であてがわれている部屋へと戻った。ぱたん、とドアを閉めて、そのドアを背にずるずると床に座り込んでしまう。
「…………自覚した途端とか、俺、即物的過ぎんだろ……欲求不満でさかってる十代じゃねーのに……」
ここまでくればもう、否定はできない。完全に、酒田に落ちていた。叶う可能性はほとんど可能性はない。もしかしたら告げることすらできないかもしれない、枯らすことしかできない恋の花。こんなことならば。
「自覚しないほうが、楽だったな……」
小さな有馬のつぶやきは、誰にも届くことなく暗闇に消えた。別れの日は、明日に迫っていた。
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