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「とりあえず、ここから下りますか。宿はとってるんですか?」
さっき上ってきた道をゆっくりと降りる酒田の後ろを追いながら口を開く。
「いや、行き当たりばったりの旅なので。宿は取っていないんです」
元々、知らないところを歩いて回るのが好きなので、計画を立てて行動するよりもどちらかというとその方が好きなのだった。だから今回も行先だけを決めただけで、そこから先はノープランだ。苦笑いしながら正直にそう言うと、酒田は少し考えるそぶりを見せた。
「酒田さん?」
「……いえ、もしかしたら宿が空いてないかもしれないなぁと。小さい島なのでそもそも宿をやっているところが少ないんです。その上今ちょうど、観光シーズンなんですよ。特に、九、十月が盛りで」
「あー……」
もう九月に入っているから客足が減ってきているだろうという見込みは外れていたらしい。世間一般で言われる夏休みは八月いっぱいだから、そこを避ければ何とかなると思っていたのだけれど、甘かったようだ。
「――――なんなら、俺の家に来ますか?」
「……え?」
自分の耳を疑う単語が聞こえてきた気がした。山を下りきって立ち止まり、有馬を振り返った酒田がゆっくりと同じ言葉を紡ぐ。耳で聞きとる音だけでなく、唇の動きをじっと見つめてやっと、自分が聞いたものは幻聴なんかではなかったのだと理解した。そのまま考えながら、ゆっくりと口を開く。
「……そう言ってくれるのはありがたいですけど、そんな簡単に人を信用しないほうがいい、と思いますよ」
頼んでおいてそんなことを言うのもなんだけれど、さっきからやけに酒田は不用心に自分を信用しすぎな気がする。まだ会って間もない、知り合いと言っても赤の他人に近い存在なのに。そう言うと酒田は柔らかく微笑んだ。
「はは、気にしてくれるのはありがたいけれど、これでも一応、人を見る目はあるつもりですよ。――――それに、一度島を出て働いていたこともありますから。社会の厳しさ、他人の冷たさは身に染みて知っているつもりですし。宿に困っているからって、誰彼かまわず泊めたりなんかしませんから、安心してください」
「……じゃあ、なんで」
「――――俺も、有馬君ともっと話してみたいから、かな」
はじめて呼ばれた自分の名に、ほんの少し鼓動が跳ねた気がした。
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