4/12
前へ
/229ページ
次へ
3  桜が舞う。見上げるとどこか色あせた色の桜が花を咲かせていた。いつもよりも高く、遠くにある桜。視点の低さに、これは夢だと気付いた。隣にいる女性と手を繋いで、楽しげに笑いあう幼い自分。これは、ありえない風景だ。記憶ではない映像に、とうに諦めたはずの彼女への願望をまだ自分が抱いていることにやりきれなさだけが募った。気づけば彼女は消え、暗闇の中に一人立っていた。闇雲に歩いていると遠くに明かりが見えた。それに向かって走り出す。近づいていくと、そこにあったのは一本の桜の木。傍らには着物姿の美しい女性。走っても縮まらない距離。 “―――――――――――” すがるように何かを言った彼女の言葉が届く前に、少年は暗闇に閉ざされた。  ゆっくり瞼を開くと、天井が見えた。そっと体を起こす。鈍い痛みの残る頭のまま、室内を見渡すも、まったく見覚えのない景色が広がるだけだ。昔ながらの日本家屋は幼いころよく過ごした祖母の家を彷彿とさせ、知らない場所のはずなのに、ひどく懐かしい感じがする。体に掛けてあったタオルケットをたたみ、歩いて板間に出ると、そこは縁側だった。色とりどりの草花が繁る、きちんと手入れされた美しい庭。その中でひときわ目を惹いたのは庭の端で咲き誇る鮮やかな色の桜だった。 おそらく、倒れる直前に見た桜だろう。気を失う前には根元のところに人影があったような気がしたが、今は誰もいない。なぜか唐突に強い既視感を覚えた。倒れる直前に見たから当然だ。そう思うのに、頭のどこかでそうじゃないと感じる。脳裏に浮かんだのは、色褪せた桜、それと――――― 「気がついたようだね」 ぞわりと背筋が震えた。低く色気のある声がかけられた背後を振り向くと、和服姿の男が立っていた。わざと着崩しているのか、少し乱れた着方をしているのに男の雰囲気は全く妖しさを感じさせない。自分よりも頭一つ程高いところにある男の顔を見上げて、目を離せなくなった。
/229ページ

最初のコメントを投稿しよう!

128人が本棚に入れています
本棚に追加