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悠生が毎日の生活を送る場所は海から遠い。一時期住んでいた海辺の街とは全然違う。JR駅の向こうが海というその街では、天気や潮の満ち引き、空気の重さ、何が影響しているのかわからないが、時々ビルの間を吹き抜ける風にふと潮の香りと湿り気が混じることがあった。今住む市は地図上で海に面していても、距離だけでなく、気持ちも、景色も、何もかもがもっと遠く、普段そんな風に海の気配を感じることはない。
なのになぜかこうして浜辺へやってくると、悠生は自分がすぐにこの風に、景色に、色に馴染んでしまうのを感じる。安心するのとも違い、体ごと引っ張られていくような、心ごと曝け出してしまうような。
どうして日がな一日海を見て過ごさねばならないのか。それは、高校の夏の体育祭がこの砂浜で開催されるからだ。
なんだかやたら学校行事の多い高校で、秋本番の体育祭を前に夏の体育祭がひかえている。一学期の期末試験を終えると、この海に現地集合するために、早朝から一時間ほどかけて郊外列車で向かわなくてはいけない。全校生徒千五百人以上が砂浜に集まるとスターターピストルの音を響かせ、浜辺でリレーやら騎馬戦、綱引きなどが繰り広げられる。体操服着用が決まりなので泳ぎはしない。
「悠生、海行かんの?」
日差しを避けるためだけに作られた今にも壊れそうな木造屋根の下、ぼんやりと過ごしている悠生にクラスメイトが声をかけた。
「んー、日陰から出たら暑いし、海入ったらべたべたして、帰りめんどい。」
悠生は、一年で一度この日、何もしないことに決めている。何もしないで海を目の前に永遠とも思われるほど間延びした時間を過ごす。Tシャツとジャージ姿で走り回り、歓声を上げ、足を波に浸してははしゃぐ生徒たちとは切り離された場所にいると感じる。光り輝く景色は遠くなり、体と意識もどんどん切り離されていく感覚に襲われる。
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