好きって言ってよ(前編)

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懐かしい回廊展示室で俺は彼女を待っていた。今日あたりそろそろここへやって来るはずだ。なずなの人生が終わりに近づいている。 俺もこの部屋は本当に久しぶりだ。というか、正確に言うとここは本物の回廊展示室ではない。現実の部屋に重ねるように作られた亜空間のようなものだ。アキと、その他数人の霊が転生を終えてここに帰ってきて、その後休息及び待機するための特別な部屋。 彼らの中で最初に帰って来るのがアキだ。 何十年も待ち続けたその瞬間は、意外なほど劇的でなかった。音もなく部屋の真ん中にふと出現したアキ。数十年前と変わらないあの姿のままだ。思わず近寄ろうとしてためらう。彼女はゆっくりと頭をもたげ、虚ろな視線を辺りに彷徨わせている。 無理もない。なずなとしての人生を終えて、まだいくらも経っていない。普通の人間と違って高級霊の場合、初七日や四十九日まで中有の状態でいる期間もなく、いきなり本来の霊の姿に戻る。慣れないうちは相当戸惑う。 まぁそういう事情もあって、このような空間が用意されてるわけだけど。 「アキ」 そっと声をかける。深い眠りから無理に起こされたかのように、のろのろと声のする方、つまり俺に目を向ける。 「…先輩」 彼女にはすぐに俺がわかった。以前、夢の中で会った時のように。少し離れたところから、俺は数歩だけアキに近寄る。彼女に触れてその存在を確かめたいが、そんなことをしていいかどうかわからない。アキにはまだ、自分の置かれている状況を受け入れることができないように見える。 「…あたし、死んだんですね」 虚ろな表情のまま、ぽつりと呟く。俺は頷いた。 「そうだ。…よく頑張ったな。お疲れ様」 そう付け足しつつも、そんな言い方が正解なのか迷う。今のアキにはどんな言葉も届かないように見えるのがつらい。 「先輩」 アキが俯いた。しばらく言葉もなくそのままじっと立っている。俺は辛抱強くただ待ち続けた。 やがて、アキが顔を上げて俺の目を見た。思わず言葉を失う。その両目から涙がとめどもなく流れ落ちていた。 「…あたしは、もう二度と野上に会えないんですね」 アキ。 いきなり殴られたような衝撃を受けながら、俺はなんとか表情を変えずに黙って頷いた。 再会して最初の言葉がそれか。ただ、無理もない面もある。何十年もなずなとして生きてきて、たった今臨終を迎えたばかりなのだ。冷静な、普通の状態のアキではない。
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