第1章

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「もう一度言ってくれ」 かけていたソファーから立ち上がって、慎は問う。 大きな窓の向こうに東京タワーを臨める一室で、大きな袖机に応接セットと電話、飾り棚しかない大層広い部屋だ。 借り主は高遠次郎だ。ここで事業を営んでいるというが、室内には従業員の姿はなく、慎と次郎しかいない。都内の一等地にオフィスを借りて人を招くことができる程度の羽振りがあり、妹に息子が産まれた時は母子を匿って真っ当な筋ではない人間に何者だと言わせたこの男の今を、慎はよく知らなかった。 次郎は杖の柄に両手を置き、慎を見上げてゆっくりと言葉を紡ぐ。 「今後、慎一郎は自分が面倒をみる。高遠家の跡取りとして」 「それは――」 「茉莉花の忘れ形見で、我々きょうだいには唯一の後継ぎだ、長兄も愚弟も、そして今度は妹も鬼籍に入った。彼には家を継いでもらいたい。高遠家としては当然の申出ではないかな」 「私から子供を奪うのか」 「滅相もない。君は不本意かもしれないが、本来あるべき姿に戻そうと言っている。妹は終生高遠家の人間だった。不道徳な関係だったのだから仕方ないだろう。君には元々帰る家庭があり、茉莉花は高遠茉莉花として死んだ。尾上茉莉花ではなかったのがその証拠だ。違うかね」 次郎は痛いところを突く。 「そうだが、しかし」 「もちろん、肉親の情はあろうし、死ぬまで君たちは親子だ。絆は終生変わらないが、戸籍上は慎一郎は高遠家の人間だ。それを忘れないでもらいたい」
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