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定時まであと一時間。
今日こそ定時上がりできると期待していた堂本大輔(どうもとだいすけ)は、壁にかかった安時計を眺め、息を吐いた。
(別に、用があるわけでもないけどさ……)
定時で上がってラッシュに揉まれて帰宅したところで、母と二人の夕飯が待っているだけだ。
諦めて壁時計から目を離し、正面を向く。大輔の所属する、S県警荒間署生活安全課が入る三階の端、第三会議室と呼ばれるほぼ倉庫と化した、生活安全課の秘密の応接室。そこで大輔は、同じく生活安全課の先輩警官小野寺晃司(おのでらこうじ)と、いかにも水商売風の中年男性と対峙していた。
「……刑事課には行ったのか?」
隣の晃司が、面倒くさそうに訊ねる。長机で男と向かい合って座っているが、晃司は行儀悪く、第三会議室に雑に並べられた長机に足を乗せている。安物のパイプ椅子に背筋を伸ばして座る大輔は、先輩警官をバレない程度に睨んだ。
「行ってませんよ! というより……行っても相手にされないでしょ? 刑事課さんは忙しいんだから」
「ふざけんな、うちだって超がつく多忙だよ!」
晃司が舌打ちする。晃司は今日もだらしなくネクタイを結び、無精ひげまで見える。これでは風俗店の店長と、ケツモチのヤクザにしか見えない。
「被害は……看板を壊された、だけですか?」
大輔が助け舟を出す。男は嬉しそうに大輔を見た。晃司が、もう一つ舌打ちする。
「それだけじゃないです! 案内所に置いてる割引券がゴッソリ盗まれたり、女の子のパネルに……お茶がかけられたり」
「ショボすぎんだろ、その嫌がらせ」
「そうなんですけど、無料案内所ってのは、北荒間が初めてのお客さんが行くとこなんですよ。今の北荒間は、安全安心が売りなんです。治安の良さが北荒間に客を呼んでるんだから、それで来てくれたお客さんに物騒なとこ見られるのは、具合が悪いんですよ」
中年男性は、本当に困っているようだった。彼は関東でも有数の歓楽街、北荒間のファッションヘルス――ちぇりーはんと――で店長をしている。合わせて、北荒間の風俗店の組合長も兼ねていた。
その北荒間の風俗店組合が運営する無料案内所が、最近何者かによって荒らされる事件が続き困っている、と彼は北荒間の風俗店を監督する生活安全課保安係に相談してきた。
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