第2章 『人生の禍福はあざなえる縄の如し』

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 事情は分かった。  KANEMOTO側の担当者である南の完全なミスだった。  こうした総合派遣会社は複数の業種の求人案内を取り扱う。しかもそれが日ごとに変わる。  事実、KANEMOTOは元来、工場などの製造業を中心に人材派遣を行っていたが、競合他社の参入により、異業種であるサービス、医療系の派遣求人も行うようになった。  俺の任されていた広告にも、『精密工場』から『レストラン』『介護事務所』など幅広い求人案件が載っていた。  それが、こちらの“締め切り”、つまり“入稿日”になっても細かく変わり、KANEMOTO側の担当が俺に“伝え漏らした”という事だった。  いつも電話で対応していたKANEMOTOの担当者が、俺達二人に逆に頭を下げた。  こちらも頭を下げた。  「それどころではない事態が」というのは、この担当者、南さんがウチ以外の求人誌にも、同じミスをしてしまい、それが社内で大問題になったかららしい。  「…わざわざ来ていただいて、すいません」  担当者は俺より年上っぽい男性社員。髪を短髪に揃えて、礼儀正しそうな好青年である。  「…いや、謝罪が遅くなりまして、こちらもすいません」  そう謝りながら、俺は心の中で安堵した。  叱責や、掲載料の割引を求めてくると思ったからだ。それが無かったのは、やはり嬉しい。  俺は運が良い。  「南さん、誠にすいません。コイツには俺からも言って、これからは原稿のチェックも俺、しますから…」  戸田さんがそう述べると、南さんは「いやいや…」と恐縮した。やはり、よい人だ。  「それで、ですね…」  その南さんが言い出した。  「はい?」  「ウチの部長の立原が一言、『挨拶したい』と言っているのですが?」  「えっ、部長さんが?」  隣の戸田さんの声に緊張感が入り込んだのが、分かった。  「良いですかね?」  「はあ、それは…」  もちろん、俺達に拒否権は無い。南さんが応接室から出ていくと、すぐに立原部長を連れてきた。  部長、と言ってもかなり若い。戸田さんの少し上。40代前半のがっしりとした男性だった。  恰幅の良い中年をイメージしていた俺は少し驚いた。  「いや、この度は、すいませんでした」  滑舌の良い、通る声だった。俺は中学生の頃の体育教師を思い出した。  さわやかな笑顔をこちらに向けている。  機敏な印象と、厳格さと柔和さも同居するような、“格上”の印象がする人間だった。  その立原部長が思いもよらない事を言い出した。    今回の掲載ミスはこちら(KANEMOTO)の責任である。  担当者の南にはこちらから厳重に注意するが、Days(デイズ)さんの担当は彼のままにする。  だが、掲載に関しては見合わせたい。  …そんな話をした。  「…えっ?」  掲載ストップと聞いて、俺は動揺した。  「あっ、大丈夫ですよ。中止ではありません。今回の動揺が収まり、南も立ち直り次第、掲載をお願いします。…人材は足りていませんから」  立原部長は俺の困惑を見抜いて、それを緩和させるように言った。  (…掲載ストップ)  俺の中で課長からの叱責が早くも浮かんだ。  「誠にご迷惑をお掛けして、申し訳ありません」  立原部長と南さんが、揃って頭を下げた。  そうされると、こちらはもう返す言葉が無かった。  「…」  俺は激しく落ち込んだまま、KANEMOTOの駐車場に戻った。  うなだれる俺が戸田さんの車の助手席に座ると、「…おい、落ち込むなよ」と言われた。  それは無理な話だった。  数日前は、『問題無し』というような感じだったのに。  戸田さんは車を駐車場から出した。  「そんなに落ち込むなよ。…あの部長も言っていただろ? 『責任はこちらにある』って。…ほれに掲載を切られたわけじゃない。復活するんだから…」  本当にそうだろうか。  このまま、掲載の話が無ければ、それっきりになるだろう。  俺は暗澹な気持ちのままだった。  なんて、不幸なのか…。  「ちょっと、コンビニ、寄るな」  ハンドルを回しながら戸田さんが言った。俺は無言で頷いた。よく考えたら、こんな俺に付き合ってくれる戸田さんは、かなり良い人だろう。  戸田さんが車をコンビニの駐車場に停め、店内に向かった。  特に買うもの無い俺は1人、戸田さんの車の中に残された。  そして、思い出した。  俺には、100万円の当たりスクラッチの当たりクジがあるではないか。  復縁したが、連絡をくれない彼女。  仕事ではミスが、さらに大きくなってしまった。  だが、俺にはこれがある。  この数日間、大事にしてきた。  普段はクジを財布に入れ、寝る際はその財布を枕元に置いた。  家族を疑うわく、当選したことを話してもいないが、高額当選の当たりクジだ。手元から離れさせたく無かった。  なんと言っても、100万だ。  俺の幸運はまだ終わったわけでは無いのだ。
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