エピローグ

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 開け放った窓から、風が柔らかく吹いてきていた。  駆け寄ってきた葵が下嶋の上に乗ってきた。最近、また背が伸びたようだ。あぐらの上に乗るかっこうだが、頭頂部はもう下嶋の顎の上まできている。  葵が振り向いた。  劇画のような笑顔になり、人差指を立てて唇に当てる。  下嶋は同じ仕草をしてうなずく。  葵と下嶋は声を出さずに口真似だけでカウントを始めた。 (3……2……1)。 「出てきたー」  葵が叫ぶと美弥子がキッチンから飛び出してきた。 「どこ? どれ? あー、まだ片づけ終わってないのに」  そう言って美弥子がテレビ画面を覗き込む。 「こおーらー」  美弥子が口角を上げて振り向いた。  その様子を見て葵が笑い転げる。 「騙したなー、こらー」  美弥子が葵の体をくすぐると笑い声がさらに大きくなった。  テレビ画面には試合前のスタジアムが映し出されていた。  スタンドの埋まり具合は5割ほどだろうか。放送が始まってからはスタジオと現地映像が頻繁に切り替わっている。  日本代表のメンバーがウォーミングアップのために出てくるのはもう間もなくだった。  美弥子はなんとかそれに間に合わせようと片づけを急いでいる。  下嶋にしてみれば、そんなに急がなくてもなんなら試合が終わった後にゆっくりやればいいと思うのだが、そこはやることはやって次に行きたいという美弥子の性格が許さないらしい。  下嶋と葵は先ほどからそれを面白半分にからかっていた。  途中からは美弥子も付き合ってくれている。  美弥子が外に目をやった。網戸も開けてあるので部屋の中からでも生のままの空を見ることができる。 「そういえば昨日のニュースでやってたんだけど、ジューンブライドなのに今日だけはどこも結婚式場ががらがらなんですって」  6月第2週の土曜日だった。  下嶋は頭の中で逆算した。  本大会の抽選が行われたのは昨年の12月上旬だった。その時点でグループリーグの試合カードが決定した。  試合まで約半年。  気の早いカップルを除けば、わざわざその日に結婚式を挙げようとは考えないだろう。参列者も呼ばれたところで気が気ではないはずだ。  6・14。  本大会の抽選以降、それが全国民にとっての合言葉となった。
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