第1章

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 新年を挟んで1ヵ月半ぶりのクラブハウスだった。    車から降りた下嶋裕二は、ドアを閉めると大きく息を吸い込んだ。混じりけのない、透き通った空気が胸を満たす。空が一段と高くなっていた。    新シーズンに向けたチーム始動日だった。1週間後には沖縄で7泊8日のキャンプを行う予定になっている。その後、クラブハウスでの練習を挟んで宮崎で1週間の2次キャンプを行い、最後の詰めをするというのがZリーグ開幕までのおおまかな日程だった。  アスファルトを軋ませながら、白い大きな四輪駆動車が敷地に入ってきた。バックでの駐車を一発で決めると、勢いよくドアが開いて、白いスーツにサングラスをかけた大男が降りてきた。わずかに顎を持ち上げて太陽を仰ぎ見る仕草も不思議と気障に見えない。サングラス越しに目が合うと口元が釣り上がった。 「よう、元気そうだな」 「タニさんこそ、相変わらず元気そうで」  谷城豪がサングラスを額の上に押し上げ、スポーツバッグを肩に担いで近づいてきた。 「葵ちゃんは元気か」 「はい、おかげさまで。妻ともども家族みんな元気ですよ」  谷城はチーム最年長のセンターバックだ。年齢は下嶋よりひとつ上になる。下嶋にとっては監督やスタッフを除けばチーム内で唯一敬語を使う相手であり、同時になんでも相談できる気の置けない存在だった。  谷城と最初に出会ったのは、下嶋が高校2年生のときだった。全国高校サッカー選手権の決勝で、下嶋の清城高校は谷城の桐宗高校と当たった。桐宗は、3年生でキャプテンの谷城を中心に、堅い守りからのカウンターを武器とするチームだった。    試合では、下嶋が2ゴール1アシストと全得点に絡む活躍を見せた。谷城は下嶋の対面にいた。下嶋の2ゴールはいずれも谷城を攻略して奪ったものだ。「いまならワン・オン・ワンでも勝てるぞ」。それが7年前にチームメイトになって以来の、谷城の下嶋に対する口癖だった。  谷城と連れ立ってロッカールームに入り、着替えを済ませると、下嶋はマッサージルームに向かった。上半分にアクリルをはめ込んだドア越しに壁にかかっている時計を見るとちょうど9時半だった。  ドアを開けるとベッドの横でトレーナーの山口哲男がスチール椅子に腰を掛けていた。    山口は絶対に時間に遅れない。下嶋の心に根を張るような安心感が広がった。  
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