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予想外の言葉にささめは耳を疑った。
けれど男は穏やかな笑みを浮かべながら、長い指を下方に向ける。アスファルトの上に横たわる、臓物を曝け出して息絶えた猫に。
「君も見ていたんだろう、あの猫を。僕もねずっと見ていたんだ、けれど一人では行動する気にはなれなかった…人間の羞恥心ってのは嫌だねえ」
「嫌…」
「どうして?」
「だって…凄く、偽善的じゃない」
「偽善で結構。
悪よりも偽善の方がいいだろう。善は善なんだから。このままいったらあの猫はゴミと一緒に捨てられるか、カラスのエサになる。そんなの可哀想だろう。」
変わった人、それがルイさんの第一印象だった。無視することも、逃げることも、拒むことも出来たけれど、一緒に猫の墓を作った。
ルイさんは、潰れた苺のように赤い液体で白い毛皮を汚した猫を躊躇することなく素手で拾い上げて、
「近くに公園があるから。そこがいいな。子供の声も響いてるし、花も咲いている。寂しくはないだろう」
とすれ違う人が冷ややかな視線を向けているのもお構いなしに、私を引き連れて公園に行き、その猫を埋めた。
「いつも…こんな風に生きているの?」
「ああ」
「虚しくならない?」
合掌す るルイさんに、そう語りかけると、
「ああ、虚しいね。生きることも、死ぬこともとても虚しいよ」
にこりとした笑みが返ってきて、私の冷え切った心を溶かした。
「…おじさん、名前なんていうの」
「堂園類。君は?」
「安藤ささめ」
声を掛けたのはルイさんから。
でも、名前を聞いたのも、アドレスと携帯番号を教えたのも、また会いたいと言ったのも私からだった。
恋だ。
私は生れて始めてこの人の全てが欲しい、この人に自分の全てをあげたいと思える人に出会ったのだ。
ルイさんと出会ってから退屈な日常には色付いた。
ルイさんと会えばスポイトで一滴明るい色が落ちるけれど、会えない日は、無色透明。
キスをすることも、愛 を囁くことも、愛を受け入れることも、こんなに鮮やかな色をしているだなんて知らなかった。
私はあまりの鮮やかさに目を閉じた、そしてゆっくりと瞼を開けるとラブホテル特有の下品な照明が瞳の中に注がれた。
とくりとくりと心臓が速い鼓動を刻んでいる、太腿と太腿の間が熱くて溶けてしまいそう、口からだらしなく漏れる声も唾液も生理的な涙さえも輝いて見えて拭いたくない。
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