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藤井修一は会社の通勤車を川原に停めた。夕方の荒川は残酷な美しさだった。
寄居町より山側は外秩父と上武山地の渓谷だ。昔から地の利を活かした自然の要塞だそうだ。荒川の中流域にあたる。なるほど風景だけを見れば自然豊かないいところだが、こんな所にあるタコ部屋は逃げ道がない。国道から3㎞緩やかな山道の突き当たりに宿舎があり、其処に至るまでに見当たる建物は3軒。スナックが一軒、次はこれまた明らかに素人ではない社長の豪邸。というよりちょっとした城だ。何を監視してるのかカメラがいくつもついている。あとはバラックの事務所が一軒。看板は"悪徳興業"
「ここから東京まではたったの70kmだよ。でも逃げるんなら駅はダメだよ。見張りがいるから、試しに前借りの日に電車に乗ってみな。事務所の人間に捕まって即お帰りだから、この川をイカダで逃げるか国道行くしかねぇよ。ハハハ。」
今年で還暦だという健さんが、入ったばかりの俺をからかうように言った。
その健さんが一昨日から風邪をひいて寝込んでいる。相部屋に24人。1列6人の二段ベッドが向かい合わせ。1人あたりのパーソナルスペースは薄汚れた煎餅蒲団一枚分。番犬として飼われている土佐犬たちの方が厚待遇だ。少なくとも個室にいる。
こんなところで風邪などひこうものなら、周りに疎ましがられるのがオチだ。
仕事から帰ったら、事務所に車の鍵と作業伝票を置いて、まずい賄いを食って、毛やら垢の浮いた風呂に入り、有料の洗濯をし、明日使うであろう。手袋や道具も帳面で買う。もちろん給料から天引きされる。
こんなとこで一生飼い殺しされるんなら…
「死んだ方がましだわ。」
修一は呟いた。
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