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「それ、飲んでいいよ。もうそこそこ冷めてると思うし」
僕は出かける前に用意しておいたミルクティのタンブラーを目で見て谷原さんに教えた。
「ありがとうございます。久しぶりですね」
僕がこうして彼女のために車で飲む飲み物を用意するのがという意味なのはすぐに分かった。
「そうだね、遠出するのも久しぶりだし」
谷原さんはいつも忙しい様子だ。
それを口には出さないけれども、なんだか疲れているような気がしてなかなか遠出しようとは言えない感じだった。
それに、近場でウロチョロしているのもけっこう楽しいから不満にも思わなかったし。
シートベルトを確認してゆっくりと車を動かす。
谷原さんは嬉しそうにタンブラーに手を伸ばして、用心しつつも口をつけた。
ほうっと息を吐いて
「おいし」
と、小さな声で言ったのを聞いて、僕の顔が緩んだのが自分でも分かった。
「ごめんね、ずいぶん早い時間に迎えに来たよね」
「いいですよ。駐車場がなくなったら困りますもんね」
「うん、きっと混んでると思うんだよね」
香嵐渓は紅葉の名所として知られている場所で、時間が悪いと何キロも渋滞してしまう。
そして香嵐渓からずいぶん離れた場所にさえも簡易トイレが設置されているのを見かけることからもその渋滞の凄まじさが分かるわけで。
僕としては、谷原さんと僕の車の中で二人きりで渋滞に巻き込まれるのはやぶさかではないけれども……。
谷原さんはきっとつまらない思いをするだろうと思うと、僕の気持ちだけで渋滞コースを選ぶことはできなかった。
どうせ渋滞に巻き込まれるならば、もっと彼女との距離が縮まった頃の方が楽しいかもしれない。
不埒な想像ではあるけれども、密室ですることのない男女がいたら……。
今の僕には無理だけど、不埒な想像はやっぱり楽しい。
想像という楽しみは事故らない程度にしておかないと、危険だ。
赤信号を見て、そう思った。
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