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~*第七章*~*第八章*~
〓第七章〓
彼女は母として 心を込め
息子の準備を急ぎました
そんな彼女の傍で
私は今まで見たことがないような彼女を
黙って見ておりました
チクリチクリと針を動かしながら
震える手を鼓舞し プツンと糸を切る
大きなため息を吐き 顔を上げた彼女は
唇を噛み締め 泣いておられました
声を殺し 誰にも聞かれぬよう
必死に唇を噛み締め
一人泣いておられました
別れの前夜
彼女は母としての言葉を
小さく強い声で 息子に投げました
“死んじゃあ なんねえぞ”
その言葉はこの時代
許されないとわかっていながら
必死の願いを息子に届けようと
母の言葉を投げました
そんな母の気持ちを受けとめ
家を出る長男は凛々しく
立派な漢になっておりました
*
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〓第八章〓
白い雲が 幾千もの風に流され
山の色も何度か変わりました
慎ましやかな生活の中でも
彼女は懸命に家を守り
息子の帰りを待っておりました
桜の花びらが ひらりひらりと舞い落ち
ひとつの季節が終わる頃
待ち望んでなどいない報せが
この家に届きました
彼女は気丈に振る舞い
賢母として報せを受け取りました
皆が寝静まった夜更け
彼女はやっと賢母の面を脱ぎ捨て
愛しい息子の母の顔に戻り
白髪の混じった髪をかきむしり
人知れず泣いたのです
腹を痛めて産み育て上げた
愛しい息子を思い
逝かせてしまった自分を責め
誰に言うともなく 許しを乞う
声を出せない私は
彼女に声もかけられず
そのすっかり小さくなった背中を思い
冷たく暗い部屋の隅で
目を閉じることしかできませんでした
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