第1章

11/16
前へ
/19ページ
次へ
柏原の話し相手(と言っても一方的に彼女がしゃべっていた)として、旧知の間柄のように過ごしてきたが、房江は率先して自分について語ろうとはしなかった。固く閉じた貝そのものだった。真珠を守り育てているわけでもあるまいに、遺影すら飾らない彼女の夫の人となりはやはり気になった。 何といっても伴侶を失ったのだ。それも亡くなって日が浅い。 柏原が夫を亡くした当時、表立って哀しむことは許されなかった時代だ。けれど夫の不在がどれ程辛かったか。心のどこかでいつか帰ってくるのではないかと願っていた。夫の最期を見届けてはいないからだ。 死に目に会えなかったから辛いのか。 立ち会えたら心の整理はつくのか。 人の死は、軽いもんじゃないよ。 表に出せないだけなんだろ? 房江を見ているとよくわからなかくなった。房江は柏原にとって謎の多い女性だった。 家のことをこまごまと手に掛けるわりにはどこか抜けていた。 よく歌を口ずさんでいる。これが日本語でも英語でもない、柏原が聞いたことがない外国語で、意味がさっぱりわからない。 暇があれば空を見ていた。いや、どこか彼方を見て、時々、両手の平をお椀の形にして上へ差し出している。はにかんだ表情を浮かべて。 この女の目は何に向けられているのだろう? 生身の、生ける者を追っているのではなさそうで、寂しがっているわけでもないのに楽しそうにも見えない。 「息子、来ないね」近頃挨拶代わりになったことを繰り返し聞いた。 房江は「忙しくしてますから」とまったく意に介さない。 「寂しいことだね。そりゃ、働き盛りの男は仕方がないだろうけど、あんたの息子のは心のある忙しさなのかね、情はあるのかい」 房江は視線を落とす。
/19ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加