第1章

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彼女は終の棲家をもうひとりの我が子を育てるように精一杯手入れをした。 隣近所にはやかましく言うような住人もいない。天国だった。 なのに、つい先日のことだ。空き家だった隣家の雨戸が開いたのは。 ここに住人がいるとは聞いていない。庭に入り込み「何だい、あんた」と柏原は言っていた。 「ここは空き家だよ」 がたぴしと、まるで動こうとしない雨戸に手をかけた相手はぴたりと手を止める。 「ええ、わかってます」と答えた。 頭髪を小さくまとめ、身のこなしは隙がない。柏原から見て、彼女の子供と言うには年嵩すぎる中年女性だった。 「あなたは?」と問われ、ムッとして柏原は言い返す。 「あたしゃ隣に住んでいるもんだよ。そういうあんたは誰なんだい」 「おとなり? 裏の、ですか」 「そうだよ」 「まあ……」相手は口をつぐむ。そして大きなひとりごとを言った。「そうね、もう――お年だったものね」 「お年って何だい、わたしゃ確かに年寄りだよ、あんたも若くないだろう!」 「すみません……」伏し目がちに問う。 「失礼ですけれど……縁者の方ですか?」 彼女が口にした名字には覚えがなかったので「知らない」と答えた。 「わたしゃ最近越してきたんだよ、不動産屋から勧められて買ったんだ。前に誰が住んでたか知らないよ」 「そうですか、大変失礼しました」 彼女は頭を下げる。深々と下げた頭から襟足から覗く首筋の細さが際立っていた。 「私、ここへは嫁ぐ前、二十年――いえ、三十年ぶりくらいに戻ってきたのです。ご紹介が遅くなりました。尾上房江です。元は庄司と申しました」 どちらの名も聞いた覚えがない。 「今日からこちらに住むことになりました。後ほど改めてご挨拶に伺います」 宜しくお願いします、と再び下げた頭にキラリと光る白いものがあちこちにあった。 あまり若くない女だ。柏原は曖昧に返事をして、その日は終わった。
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