7人が本棚に入れています
本棚に追加
翌日、柏原の隣人として予告通りに挨拶にやってきた尾上房江は、建て付けが悪い雨戸の桟に蝋を塗って開けやすくし、生えまくって枯れかけた雑草を刈り、掃除をした。
越してきたという割には、身の回りの品はわずかばかりの着替えと、食器ぐらいのようだった。
まるでふらっと旅行に来たようないでたちだ。
「身軽なんだね」と問うと、こう返事がきた。
「少し前に息子夫婦が暮らしていたんです、家財道具はそのまま置いていってくれましたから用意しなくてすみました」
「息子! ってことは子供いるのかい!」
「はい」
「何だってこんなところにあんたひとりで? 旦那は?」
房江は薄く笑う。「いないんですよ」と言って指先を擦った。皺だらけの指に金の指輪が鈍く光る。
「先頃、亡くなりましてね」
ひゅうと木枯らしが吹くように、続かない話題がある。この日はどうあっても会話が成立せず、柏原は帰った。
面倒な近所づきあいから解放されたかったのに、隣人の引っ越しは柏原の生活を変えた。
隣といっても隣家の様子は自宅からはまったく見えない。相手からも同様のはずだ。なのに、ゴミ出しだ、買い物だ、郵便局だで外出すると何故か房江と鉢合わせになることが続いた。
旦那、死んだって言ってたね。
柏原は思う。
やもめ同士というわけだ。
最初のコメントを投稿しよう!