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格子の奥で、すすり泣く気配があった。
「出しておくれよう。もう嫌だよ。出しておくれよう」
クイントゥスは後ろ髪を引かれる思いをしながら、逃げるようにして地下室を後にした。
かつて命を落としていった奴隷たちについても、ののしりを受けたり、声を荒げられたりすることは、クイントゥスにとってまるで問題にはなり得なかった。
されど、哀願――目に涙を浮かべながら奴隷たちが縋りつこうとするとき、クイントゥスの心は深く切り裂かれる。
すすり泣くユーリアの声は、それが聞こえなくなってからも、クイントゥスの背中にねばつく泥のごとく張り付いて、良心と後悔を揺さぶり続けた。
娘とはゆかずとも、歳の離れた女をいたぶりぬくということが、クイントゥスには耐えられない。
むろん、これまでの事も、耐えられるはずがなかった。
だが、ついには奴隷たちを見殺し、牢の中で果てさせようとも、相も変わらず人間らしさを失わない自らの心というものが、クイントゥスにはひたすらおぞましく感ぜられるのである。
……
「なんで女が放りこまれる? 今のところ屋敷に女の奴隷はいなかったろう」
同僚のフルーギーは樫材のテーブルに半身を乗り出して、尋ねた。
喫湯店の前を皮細工の呼び売り商人が通過し、余韻を残して遠ざかっていった。
クイントゥスはフルーギーの目を見据えると、軽く鼻を鳴らして微笑んで見せた。
「それは言えんな。執事殿に聞いてくれ」
野卑たフルーギーの顔色が変わった。
「馬鹿いえ、カトのじいさまに聞けるわけがないだろう! 俺の寿命が縮むだけだ」
フルーギーの目が慌てて逸らされるのを見て、クイントゥスはさらに相好を崩した。
この無頼漢めいた男にも苦手なものがあるのだ。
「フルーギー。あの人のどこが怖いのか、私にはわからん。ただの堅物だぞ、私と遜色ないじゃないか」
「虫が好かねえんだよ。料理のことにも口を出しやがるし、小言ではがい締めにされるとお手上げなんだ。いざって時に目ざといし、おっかねえったらねえよ」
街で顔を合わせてからというもの煙に巻かれていたが、ようやく一杯食わせたところで、クイントゥスの気が晴れた。
彼は魚のパテを引き取って包みなおすと、ゴブレットに残った湯を飲み干した。
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