三、

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三、

陰気なランプの明かりが、黒ずんだ石段の輪郭を照らしている。 これより、中年の家事使用人頭であるクイントゥスが最も忌み嫌う仕事が始まるのだ。 幅の狭い二十段のステップの先にあるのは、地上より一切の明かりが届かない暗闇と、常に充満する湿気、時たま響く水滴のしたたりを除けば、やまぬ耳鳴りだけが支配する空間である。 クイントゥスが息をひそめながら地階の底へ降り立つと、気温は地上よりも冷ややかなものへ変化していた。 夏は冷え切り、冬はほのあたたかい。ほんの少し地面の下へ顔を出してみれば、そこには自然と隔絶された、不気味な摂理が働いている。 クイントゥスの視界のはずれで、じめついた床と壁の交点を何らかの小動物が横切る気配があった。 それは不潔な毛並みをもったネズミであるかもしれないし、節のある胴体に無数の足をもつ醜怪な昆虫であるかもしれない。 あるいは、それ以上の何かであるかもしれないが、およそクイントゥスの興味をひきつけなかった。 朽ちたモザイク壁で囲われた地下室に来るといつも、クイントゥスは早く仕事を終えることだけを考えるので、彼はいつものように落ち窪んだ壁のふちにしゃがみこみ、上半身がやっと通るほどの開口部を覆った鉄の格子扉へむけ、ランプをさしむけた。 格子の先に、油を吸い上げて赤々と炎をまとう灯心が複製される。 ところがその姿はおぼろげであり、格子の先に水面が広がっていることが読み取れる。 クイントゥスが辛抱強く見守っていると、かすかにゆらぐ水面の上に、二つのきらめきが浮かんでくる。 宝石のように輝きを放つのは、人体の最もぜい弱で、尊い器官であるものだ。 闇にまぎれる眼差しは、どこか非現実的な印象を伴って、クイントゥスの背後にある虚空を見つめている。 水牢。これほどまでに邪悪で残酷な発明を、クイントゥスは他に知らない。 この地方都市において、絶大な権勢を誇るアッピウス家の最大の恥部が、この空気のよどむ地下室に――いや、クイントゥスの眼前にある格子扉の先に凝縮されている。
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