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★ もう、甥の僕のコメントなしで、叔父さんの文章を
以下、そのままお伝え致します。誰が書いているか分からなくなったら、
深い読解力をお願い胃あtします。
以下、叔父さんの文章を引用
(季節は初秋)
半分、自由業のようなサラリーマンのような通勤形態の私。
前期高齢者に入るのか、入らないのか、勤労現役なので、
考えないことにしている。
そこで、問題なのが、細かなことが気になる性格である。
朝でも、夕方でも、家から駅までの通勤途中の道路脇、植込み、
公園の道端、草むら、自販機脇の無責任な放置空き缶、ペットボトル。
最初の内は、1~3本位は、片手で持てるのだが、それでも、夏場は
駅までの15~18分の道のりでは、下手すると
8本位を拾わざるを得ない?(別に、地方条例で拾う義務があるとは
決まってないはず)日もある。
こうなると、スーパーなので貰う買い物パックが必要になる。
ただ、たちの悪いのになると、たばこの吸い殻と飲み残しが混ざり、
簡単には 「空に」ならない。
歩きながら振っていると、ズボンに滴がかかり、ひどい目に合う。
捨てた人間を心の中で罵倒しながら、「いや、これは、わが家の
愚息が高校時代に捨て捲くった空き缶、ペットボトルの一部だ」と
自分を納得させて、気持ちを抑える。
勿論、そんな狭量な精神の持ち主なら、止めておけばいいのに、
と毎度、自分でも 「自己矛盾」を感じている。
ある時、私を追い越していく通行人が、「それ、どうするんですか?」と
尋ねた。ふと見ると、美人である。中年にはまだ、15年位余裕を残した
感じの、本当に「感じの」良い女性であった。
瞬間、「世の中、捨てる神あれば、拾う神ありですよ」と
答えようと思ったが、その日は、頭が回転していた。
「いやー、金属は金になるので、空き缶一個拾うと、持ち株で
その日、1、000円位上がるんですよ」と、冗談で返した。
軽く会釈して先を急いで行った女性は、微笑もなかなかのものであった。
と言うわけで、このような、「空き缶」を拾う日常は、結構、
手間の代償としては、見返りもあるのである。
(続)
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