02 憧憬 ― 2年前 ―

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「松岡さん、話……っ! まずはちゃんと話しましょうよ! だから一旦離れましょうっ! ねっ?」  抱き留められた腕から逃れようともがくが、圧倒的な体格差を前に全く歯がたたない。 「好きでたまらない。君のことが。恋人として付き合ってほしい」 「えぇえっ?」  貢はこれまでも、男にしては小柄な体躯と祖母譲りの女顔が災いして、不本意な告白を受けることは多々あった。その殆どは男しかいない高校時代のことで、血気盛んな思春期の気の迷いのようなものだ。  しかしここは女人禁制の男子校ではない。しかも相手は誰もが羨む名声と端正なビジュアルを併せ持つ人気スタイリストだ。何を間違えばこんな状況になるというのだろう。 「こんなこと許されないって自分でもわかってる。ちゃんと、わかってるんだ。――でも、だめなんだ」  絞り出すような声は、自身を呪うように暗く淀んでいて、貢は思わず言葉を失った。  憧れの存在として追いかけた松岡の世間からの評価は、端麗な容姿だけではない。仕事に厳しく向き合うでストイックな男だ。それだけに、立場を利用して貢をだますように呼び出した今の状況を悔いているのかもしれない。 「君に近づきたい、触れたいと思ったら、手段なんて選んでいられなかった」 「――え……?」  背中に冷たい汗が流れる。 「もしかして、俺が採用されたのって……」  松岡は何も言わない。  代わりに、ぐっときつくなった抱擁が、貢の中に生まれた最悪な予感を完全に肯定した。  ――この採用は、スタイリストとしての資質を認められたものじゃない――。 「俺に触んなぁ!」  一瞬にして怒りが込み上げ、貢は思い切り身を捩る。  ずっと抱いてきた憧憬が粉々に吹き飛ぶ。片時だってこの男に触れられていたくない。  しかし、貢がどんなに暴れようとも、松岡の堅牢な腕から逃れられない。 「暴れないで、話を聞いてくれ! きっと誤解している」  押さえつけられたまま耳元で発せられる声が貢の神経を余計に逆撫でる。
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