156人が本棚に入れています
本棚に追加
「何がだよ! 離せ!」
貢は渾身の力で右腕を振り切り、握り拳を松岡のみぞおちにめり込ませた。
「う……っ!」
松岡が鈍い唸り声を上げてその場に崩れ落ちる。ようやく開放された貢は、転がるようにその場から駆け出した。そして、先ほど教えられたスタッフ用の出入り口へ走り、扉に付けられたふたつのサムターンに手を伸ばした。
「痛っ!」
右手にチリッと痛みが走る。見ると小指の付け根辺りからじわりと血が流れ出ていた。松岡を殴った時に、ベルトのバックルか何か硬いものをかすったような気がする。
手加減なく人を殴ったのは初めてだ。
流血に気がついた途端、そこからジワジワと全身に熱が広がっていくような感覚に襲われる。ドクンドクンと鼓動が息苦しい。でも、今はそんなことに構っていられない。
貢はシャツの裾で雑に出血を拭うと、改めてふたつのサムターンを回す。しかし、押しても引いても扉が開かない。
「なんで開かな――、わぁっ?」
突然浮遊感に襲われる。
扉から貢を引き剥がすように背後から松岡に身体を持ち上げられたのだ。
「悪い。まだ裏口の開け方を教えていなかったな。その扉のサムターンはそれ
ぞれ互い違いの方向に回すんだ」
謝罪の言葉を挟んでも、その語調はごく淡白だ。
松岡は軽々と貢を肩に担ぐと、揺るぎない歩みで踵を返す。
「上が時計回りで下がその逆。開店時間中で室内にスタッフがいる時は下だけを。帰宅する時は両方をロックしてセキュリティカードを通す。今は下だけ施錠してたんだ。分かりづらいから後でもう一度説明するよ」
松岡はひと息に言うと、それ以上は話さず、懸命に手足をバタつかせる貢を尻目にスタッフルームへ入った。
「降ろせよ! アンタのオンナ扱いされるための採用なんてこっちから願い下げだ! バカにすんな!」
最初のコメントを投稿しよう!