01 終わる日

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「ちょっと黙ってろ。今、俺は忙しい」  深町貢(みつぐ)は、一人暮らし用ワンルームの小じんまりとしたシンクの前で手元に視線を注いだまま、唐突にやって来た訪問者へ言い放つ。  貢は今、重要で難渋なミッションの最中なのだ。  手元にはもうもうと湯気が上がるスクエアの発泡スチロール容器。そして、その傍らには今の段階であれば貼り付いているべきの湯切りのシートが無残にも剥ぎ取られてシンクの上で丸く転がっている。  遮るものもなく立ち籠める香ばしい焼きそばの香料が、貢から食欲以外の感覚を奪い去る。  男にしては小柄で、二十二歳になった現在でも服装によっては女に間違えられることもある貢は、同居していた祖父から、よく「女学生時代の祖母を見ているようだ」と目を細められていた。  〝白百合の君〟と称されるほど美人だったらしい祖母を、当時の祖父は高嶺の花と遠巻きに眺めてばかりだったと聞かされたものだが、祖父がその話を持ち出してくる時は、決まって祖母と喧嘩して機嫌を損ねた後なので、どこまで本当なのかは不明だ。  貢はそんな〝白百合〟の外見から繊細で控えめな性格をイメージされることが多いが、その実、繊細とは縁遠い。現在の状況が物語るように、お湯を入れて流すだけの即席麺すら空腹が先立って短気が顔を出す。  更には、このミステイクが初めてではないだけに、自分の短気には十分自覚がある。  時刻はすでに十四時を回り、閉ざしたままの薄いカーテンから二月の昼光が漏れている。  数分前、空腹で目を覚まし、時計を見て飛び上がった。  今日は久しぶりにひとりで過ごすことができる休日だというのに、半日も惰眠を貪ってしまったのだ。あてどない怒りで手元も狂う。  その上、起き抜けの空腹を満たそうとした矢先に邪魔が入ったのだから、予定外の来客に態度も悪くなるというものだ。 「大事な話があるんだ、貢」  頭ひとつと半分、頭上から発せられるこの男の声は、いつも硬質で揺るぎない。
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