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今、まさにクライマックスを迎えようとしているインスタント麺の湯切りは緊張も傾斜も今が最高潮だ。慎ましく同梱された希少な具をこぼすわけにはいかない。
貢はすぐに会話を制止して、手元へと神経を集中させる。
「結婚するんだ。――来週」
「……は?」
しなびた野菜がぼとりとシンクに落ちた。貢の背中にぞくりと冷たいものが走る。
声が喉に絡みつき、手元にロックしていた視線をようやく開放すると、松岡の姿に息を飲んだ。
「なんで休日にスーツ……」
程よく鍛えたスレンダーな体躯でシックなスーツを着こなす松岡は、まるで別人に見える。そしてその姿が物語る非日常が、思いもよらない松岡の言葉を肯定するようだ。
「今日見合いだったんだ。実家に呼ばれてた」
「なん……だよ、それっ!」
頭の中が真っ白になって、弾けた。
貢は手にしていたインスタント麺をシンクにぶちまけ、松岡の胸ぐらに掴みかかった。
「ま、待て、 話を――」
「うるせぇ!」
一瞬で沸点に達した感情は言葉ではなく動作を選んでいた。
貢は思い切り松岡の腹部に拳をめり込ませる。
「ぐ……っ」
松岡が鈍い声を上げて後方へ倒れ込むが、そんなことは知らない。
貢は、これから告げられてしまう明確な別れの言葉から逃げるように、着の身着のまま部屋を飛び出した。
「貢っ!」
背中で自分を呼ぶ声が聞こえたが、振り返りはしない。
松岡に打ち込んだ右手の先からじわじわと熱が広がる。
――結婚するんだ。
頭の中で残響のように繰り返す松岡の言葉を振り切るように、貢は二月の冷え込みに身を刺されながら、あてどなく街の雑踏を走り続けた。
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