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 加藤が虚空を見つめ、目に焼き付いた美咲の死に顔で頭中を満たしていると、緊急車両が近付いてくる音が聞こえてきた。  そしてその車両は加藤がいる中央病院の救急外来の入口で停車した。  また急患か……。人の生活における非日常が夜の病院の日常なのだ。  自動ドアが開き、ガラガラと台車を鳴らしながら5~6人の一団が入ってきた。  他人事とはいえ気になった加藤がそちらに目をやると、台車は人を乗せたものではなく何かの機材が積まれたもので、入ってきた男の一人は加藤の姿を認めると、他の者を先に行かせて加藤の方に近付いてきた。  ……なんだ? これがさっき妙な電話をしてきたインターネット屋、村田といったか……がほざいてた「医療チーム」なのか? 「加藤仁さん、ですね。村田からの連絡にあったと思いますが、ここに署名をお願いします」  男はそう言って、A4サイズのクリップボードに留められた一枚の書類を差し出した。 「何の書類か知らないが、あいにく手遅れだ」 「詳しいことは追って村田が説明しますので、署名をお願いします」  男が食い下がるので加藤が書類を一瞥すると、細かい文字がびっしり詰まっており、辛うじて何か同意書の類いであるらしいことが分かった。 「これを読んで、確認してから署名しろってのか。たった今、一人娘を失ったんだぞ俺は」 「ですから内容まで目を通していただかなくて構いません。署名をお願いします」 「……信用しろってのか」 「そう申し上げるほかありません。時間がないんです」  書類の内容をあらためる猶予はないらしい。  ならば……人だ。人間で判断するしかない。俺に署名を請うこの男、この人間は信じていいのか? と、加藤は改めてこの正悪定かでない男を見据える。  すると男は加藤の視線を真正面から受け止め 「お願いします。加藤さん」 と繰り返した。  少なくともこの男に邪な気配はない。……あとは、不利益の有無を確かめなければならないか。 「確認するが、娘の遺体をそっくり拐っていくという話ではないんだな?」 「はい、違います」 「……分かった」  加藤はペンを受け取り、署名欄に名前を書く。  書類を男に返しながら、加藤は言う。 「おたくらも名の通った組織だ。どのみちさっきの電話で〝契約〟は成立しちまってるんだろう。この紙切れは仕事をスムーズに進めるためと、後の紛議への備えに過ぎない。違うか?」
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