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建安12年……。中国における天下の趨勢が既に決し、覇道の残りを数えるだけとなっていた天下人を悩ませたのは、自軍内に生じた弛みや領内における賊の頻発などの身内の患いにより勢いが削がれて覇業が頓挫しつつあったことだ。
そこで臣たる郭嘉が曹操に進言したのは、当時中国の北の国境であった万里の長城を越えて外敵を討伐することだった。
曹操は既に中国の外を見据えている……。
この北伐は緊張が弛んでいた自軍を再び震撼させるとともに、賊はもとより抵抗していた諸侯をも釘付けにし、皆が固唾を飲んで見ているほかないという状況を造り出した。
つまり、北伐の成否そのものが重要なのではなく、この場合は「曹操が長城を越えて北に討って出た」ということが知れ渡った時点でほぼ目的を達したのだ。
今回、世界平和の維持を責務とする国連が、平和を問義する際に単位となる「国」という概念に新たな意義を投げかけた。そして世界はひとまず成り行きを見守る方向に動いた。
……これで目的の半分は果たしたのだ、と加藤は思う。宇宙が広すぎて人類共通の注目の的としての求心力を持たなくなった現代、次なる場所は地球上に求めるほかにない。
この計画の発表までの過程で、加藤は2つのわがままを通した。
ひとつは日本の官僚という立場をとりあえず維持すること。国連の日本代表代行特使というのがそれだ。
これは常駐ではなく外務省の要職なので、加藤は当面、日本での生活を続けることができる。
もうひとつは、第七委員会の正式発足と同時に加藤は準備室長の任を解かれ、加藤自身は第七委員会には参加しないというものだ。
これは、この壮大な計画が加藤の至極個人的な目論見を起点にしているということを悟られぬようにして、将来、終の棲み家として美咲と共に移住するのをスムーズにするためだ。
まあこの理由は半分で、要するに加藤はもうしばらく日本に居たいし、いちばんの目的であった美咲の奪還は遂げてしまったので、新しい国のことは正直なところ、野にでも山にでもなれという気持ちだった。良いものができたなら美咲と住んでやろう……。その程度に思っていた。
世界の反応が落ち着くまでニューヨークに滞在してから、大仕事を終えた加藤はひとり成田に凱旋し、麻尾に帰国の報告をする。
(おお帰ってきたか、お疲れさん。なかなか良い男に映ってたぞ)
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