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結 うつつの春
桜も散り、世間の子供たちは新学年の始業に臨む期待と緊張を周囲に放ちながら学校への道を歩いていた。
ウィンドウ越しにそれを横目で見ながらハンドルを握る父親は、えんじ色のランドセルを背負っていた頃の娘の姿を回想する。
父親の胸に感傷はなかった。
やがて目的地に着いた父親は自動ドアを通る。
建物内は、娘のためにすべて一新されていた。
怪しげなものを製造していたブースは撤去され、たくさんの真新しいサーバが埋め尽くす様は、さながらスーパーコンピュータのようだ。
父親は、頑丈なドアの前に立ってカードキーを通す。「ガチャン」という重い響きを伴って錠が解かれたのを確認し、父親は娘の部屋に入る。
ホログラフで投影された水色のクマは、鼻ちょうちんを膨らませながら寝ていた。
「……おい、起きろ」
「んん、あ……お父さん。おはよ」
水色のクマはパッと目覚める。
スピーカーから聞こえる返事にはちゃんと抑揚があり、自然な会話に限りなく近い。
……よくできたものだ。父親は改めて現代のコンピュータ技術に驚きを覚える。
「今日はどうしたの?」
クマが尋ねる。
「ああ、仕事が軌道に乗ったんで報告にな」
「そんなの、わざわざ来なくても分かるのに」
「まあそう言うな。せっかく来てやったんだ」
「うん……そうだね。でも、ほんとに順調だよね。どんなものができるか楽しみ」
「ああ、もしかしたら本当に世の中を変えるかもしれない。まあ、もう俺の手を離れたけどな」
「でも、完成したら私とお父さんも引っ越すんでしょ?」
……そう、完成までに数年かかるが、完成したら引っ越すのだ。
人外となったこの娘は、普通の国では手に余る。
「そのつもりだ。……そうだな、今度は長く住むことになるから、お前も遠慮しないで友達をたくさんつくるといい」
「ほんと?やったぁ」
投影された水色のクマは跳びはねて喜びを表す。
そのクマの仕草に遠い面影をみて、父親は口許を緩めた。
‐完‐
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