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2 受難
加藤を乗せた捜査車両は、赤い灯を周囲に撒き散らしながら、歳末で混み合う大通りをサイレンで切り裂いて中央病院へと走る。
岩崎は居酒屋の前で運転席の刑事に何か一言告げただけで同乗しなかった。
ハンドルを握っている刑事は岩崎の部下だろうか、一言も喋らずに硬い表情で車を駆る。
おそらく気を遣っているのだろう。
加藤は思いのほか静かな車中の後部座席でひとり、娘と対面したときに狼狽せぬよう、これから自分が目にする光景……それも想像が及ぶ限りの惨状を思い描いて覚悟を固めることに専心した。
そうして5分も経たぬうち、フロントガラス越しに中央病院の白く大きな建物が見えてきた。
近代的で充実した設備を持つ、この地域で随一の総合病院だ。
その重厚で圧倒的な存在感を放つ建物は頼もしげで、加藤の胸中に僅かな希望を忍ばせた。
そうして車は緊急搬送口を入り、間もなく停車した。
刑事が加藤に「着きました。どうぞ」と告げる。
礼を言って車を降りた加藤は、目の前にある救急外来の入口に早足で向かう。
加藤の視線は自動ドアの奥、建物の中を見据えていた。その時、加藤を迎え撃つように一人の女性看護師が廊下を走ってくるのが見えた。
端正な顔立ちは緊迫した表情で、凛々しいプロの顔をしている。
看護師は自動ドアが開く時間も待てない様子で、横にある手押しのガラス扉を押し開けて飛び出した。
「お父さんですね。急いで下さい」
そう言って看護師は、ノブを握り、扉を開いたままで加藤を急かした。
加藤を招き入れるとすぐ
「こっちです。急ぎます」
と言って、加藤が返事をする間もなく再び走り出した。
加藤もそのあとに続く。
目の前で、看護師が息を切らして走っている。
平素、廊下を走ることなどないはずの看護師がだ。
その背中は事態の深刻さを雄弁に語っていた。
先ほど胸に湧いた僅かな希望などは瞬く間に消え去り、加藤は必死に、無心で看護師を追いかける。
……硬い靴音を院内に響かせながら。
すぐに息があがってきた加藤の脳裏に、そういえば全力で走るのはいつ以来だろうか、などと場違いな思いがよぎり、加藤は非常事態に臨んで混乱していることを自覚した。
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