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やがて看護師は突き当たりでようやく足を止めた。そして振り返って加藤を待つ。
足がもつれそうになりながら追い付いた加藤は両膝に手を乗せ、荒い息のまま上目遣いで眼前の重そうな扉に目をやる。
扉の上には「手術中」の表示が灯っていた。
「いいですか、入りますよ」
そう言って看護師は、またもや加藤の返事を待たずに「お父さん、着きました」と言いながら勢いよく扉を開けた。
手術室には医師と看護師合わせて10名ほどの人間がおり、その視線が一斉に加藤に注がれた。
しかし、その視線を浴びる加藤の意識は、一瞬にして室内中央に鎮座するベッドの上に吸い寄せられて固まった。
……美咲。
ベッドの上に横たわる美咲は、小さな乳房をあらわにし、胸から下は白い布で覆われていた。
蒼白な顔面は、一見すると無傷である。
しかし、状況が絶望的であることは即座に理解できた。
下半身を覆う白い布は、美咲の細い体から流れ出ている鮮血に染まり、今もなお、その赤の領域を増している。
そのうえ布に覆われた部分は、明らかに人の体としての厚さを欠いていた。
……美咲が死んだ。加藤がそう理解しようとしたとき、白衣と手袋を赤く濡らした医師の一人が加藤に言った。
「お父さん、呼びかけてあげてください」
……なんだと。
まさか美咲は生きているのか、この状態で……。
それとも娘の亡骸にすがって泣く親を演じろというのか、この医師は。
加藤は睨むように医師を見つめ返した。
しかし加藤の視線に臆することなく、医師は
「お嬢さんに声をかけてください。早く」
と、もう一度加藤を促した。
加藤は医師の真意を量りきれぬまま、美咲が横たわるベッドの側に立ち、美咲の顔を見下ろしながら
「美咲、俺だ。起きろ」
と呼び掛けた。
……やはり何の反応もない……と思ったとき、加藤の視界の端で、血糊に塗れて力なく垂れていた美咲の右腕、その指の先が僅かに動いた。
……まだ生きている。
加藤は反射的に美咲の右手を両手ですくい上げ、力を込めてもう一度呼び掛ける。
「起きろ美咲、おい起きるんだ」
すると、すでに血色が失せている美咲の顔、その睫毛が細かく震え、ゆっくりとまぶたが開かれた。
視線は天井に向けられ、焦点は定まらない。
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