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「美咲、俺だ、分かるか。お父さんだ」 声に反応して美咲の瞳が右に流れ、流し目で加藤を捉えた。 「……美咲、よく頑張った。俺が来たからもう大丈夫だ、安心しろ。なにも心配いらないぞ」  そうして父親と娘はしばし見つめ合い、瞳で最期の言葉を交わす。 「よく頑張った。……お前は俺の宝だ……美咲」  やがて、泣き笑いの父の姿を瞳に焼き付けたまま娘のまぶたがゆっくりと降りていく。  そうして瞳が閉じられたとき、溢れた涙が一筋、娘の頬を伝い、娘の口元が満足そうな微笑みを浮かべた。 「……美咲? ……おい………美咲」  父の呼びかけに娘が再び応じることはなく、握りしめていた娘の手から命の気配が抜け落ちたのを感じ、父親は娘の手を離した。  呆然と立ち尽くす加藤の肩に、手袋を外した医師の手が優しく置かれた。 「お父さん、ありがとうございました。……よく間に合ってくださいました」  医師も泣いていた。  加藤よりも若く見えるが、職業として多くの人の死に立ち会ってきたであろう大病院の医師が、溢れるままに涙を流していた。  そして、医師は泣きながら職務を遂行する。  美咲の頬に一回手をあててから、胸のポケットからペンライトを抜き、閉じられた美咲のまぶたを開いて照らし、のぞきこむ。 「午後10時52分、ご臨終です」  医師のその宣告を合図に、手術室内にいた人間が水色のキャップを脱ぎ手袋を外し、美咲に黙礼してから一人、また一人と手術室を出ていく。  気が付けば加藤のほかは男性医師二名だけとなった。  医師は何も言わない。  ……これは……配慮だ。ここで遠慮なく泣き崩れていいですよ、という配慮なのだ。  加藤がその心遣いを甘受して、まさに膝を折ろうとしたその時      ウィーン  ウィーン と、胸ポケットに納められた加藤の携帯電話が着信を告げた。  まるで美咲が転生したかのようなタイミングに、加藤はもとより、その場にいた二人の医師も一瞬、硬直した。  この最悪のタイミングで電話をしてきた間の悪い奴は一体誰だ。  ……まあ誰であろうと一生忘れまい、などと考えながら携帯電話の画面を見た加藤は、戦慄で背筋が凍った。    #BNB/931+zdy4  ……なんだこれは。電話番号なのか? ……非通知ではない。
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