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祖母の墓の前、生前の祖母の言葉を何度も反芻し、雪穂は歩き出した。五メートル先の右後方、墓に縋る男性の元へ。
暗くて静謐な墓地に降り積もっていく細かな雪は、その男性の周囲だけ乱れていて、雪穂がその存在に気づくどれくらい前からそこに、そうやって居たのだろう。
同じくらい、雪穂も祖母の墓の前に居たということも言えるけれど。
「使って下さい」
自分が持っていた傘をかざす雪穂に気づいているのかいないのか、男性は視線ひとつ動かすこともないまま、墓石を慈しんでいて。
失礼なことかとは思ったが、雪穂は男性の肩に勝手に傘を置いた。中棒や手元部分等でバランスをとり、男性が動かない限りはその身体を降雪から守ってくれるように。
偶然触れてしまった男性の耳がとても冷えていて、赤く腫れているようにも見えて、雪穂は差し出してあげられるものがこれ以上あるだろうかと思案する。
自分のコートを掛けてあげてもいいが、そこまでしてしまうのはどうだろう。雪穂が寒いのはたいした問題ではない。自宅は徒歩圏内だし、何かあるとしたら、少し風邪をひいてしまうくらい。
けれど――そして誰かを救い、雪穂ももっと救われますように――祖母が心配してしまう。祖母は雪穂が微熱を出すだけで一晩中起きているような人だった。
祖母に心配をかけることは、私の幸せではない。雪穂は、首もとの柔らかなマフラーを握ってしばらく戸惑うばかりだった。
そうっと、雪穂はそこから離れた。
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