墨将

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墨将

イカルガに「墨将(ぼくしょう)」と呼ばれる武将がいる。名を、キヨタダという。 麾下(きか)軍装(ぐんそう)は黒で統一され、ひとたび彼の軍が戦場に現れれば、その将兵が彼の采配(さいはい)のもと、まるで紙上に墨の(にじ)む如く戦地に拡がり、そこより先、決して敵の進軍を許さないと評判であった。しかしながら、「墨将」の異名の由来はそれだけではない。 「墨守(ぼくしゅ)」という言葉がある。 古代、フソウの西の大陸に生まれたある思想集団。「非攻」、つまり攻めの戦の否定を教義とした彼等が、ある瀕死(ひんし)の小国に()われて辺境の小城に(こも)り、(わず)かな人数で九度にわたって敵の大軍を退け城を守り切ったという故事。その彼等の指導者の名が「墨」であった事に(ちな)む語であり、即ち「必ず守り抜く」という意味を持つ。 事実、過去防衛戦においてキヨタダが入った城はあたかも急流の中にあってなお不動たる巨石のように陥ちる事がなく、彼の部隊が殿軍(しんがり)を務める退却は竹樋(たけどい)から一滴の(しずく)も残さず水が引くように整然として鮮やかで、奇跡的なほど被害を免れた。 つまりは守御(しゅぎょ)のあらゆる術策(じゅっさく)において、このキヨタダという男は古今無双の名将であった。そしてその事実こそが彼を「墨将」たらしめる本当の理由である。 だが、そのキヨタダをして、今彼を責め(さいな)むのは深い悔恨(かいこん)の念であった。 罪は若さによる血気と功名心、そして何よりそれに勝る純粋な正義感に(はや)って討伐を申し出た未来ある若者にあるのではない。たかが辻斬りと(あなど)り、相手の技量も確かめぬまま、それを許した自分にある。 実の息子のように目を掛け、手塩にかけたカズマが、先日斬られた。戦場で、ではない。キョウの市中で、それもあろうことか、名のある武人にではなく、狂人に。 辻斬り風情(ふぜい)に返り討ちに遇った侍として、世間は後の世までカズマを笑い種とするだろう。 (せめてこの手で仇を取らねば、カズマが浮かばれん) この廟議(びょうぎ)でキヨタダは自ら辻斬り討伐を願い出るつもりでいた。おそらく許可は降りないだろう。ミカドに侍る公卿(くぎょう)達は、普段は武人を見下しているくせに、こういう時になると、市井(しせい)の辻斬りごときに武士団の大将格が出向くなど沽券(こけん)に関わる等と、いちいち反対する。それを押してでも、キヨタダは自分の手でカズマの雪辱を果たしたかった。 だが、廟議でキヨタダに下った勅命(ちょくめい)は、その望みを断ち切る、それでいて「墨将」キヨタダに最も相応しいものであった。
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