密偵

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「お主の見立ての品が良く、ついあれもこれもと買ってしまうわ」 腹の周りにばかり貫禄(かんろく)のついた男。モタイとは同年代のはずだが、取引中も常に昼酒を(あお)るような不摂生な日常を送っているせいだろうか、眼の下の(くま)が濃く、年齢よりもだいぶ老けて見える。 「ヒデモト様にはいつも良いものばかり買われてしまいます。目利きのヒデモト様のお眼鏡に(かな)う品を集めるのは一苦労でございます」 「ははは、たわけめ、言うておれ」 世辞(せじ)の通じる相手は扱いやすい。ましてやこのヒデモトのような、世の美辞麗句(びじれいく)(すべ)て己の為にあるとでも思っているような手合いを(たなごころ)で転がすなど、海千山千(うみせんやません)の密偵には造作(ぞうさ)もない。気を良くしたヒデモトにより、商談後にモタイにも(ぜん)(きょう)され、美しい都の女が(しゃく)についた。本当の仕事はこれからである。 「それよりお主、もう聞いたか」 普段なら諸国を巡ってくる旅商人の見聞や土産話をねだるヒデモトが、珍しく自ら水を向けた。 「なにやら物騒な輩が跋扈(ばっこ)しておるようですが、その事でございますか?」 「それよ。さすがに耳聡(みみさと)いな、もう存じよるか」 話の腰を折らぬ旅商人の察しの良さに気を良くしたヒデモトが、ぽんと膝を打って続ける。 「ミカドのおわす都を騒がすとは不逞(ふてい)極まらぬ奴よ。今朝もカズマという若造が退治に向かったはいいが、返り討ちに遭いよった。まあ、いい気味だがな」 官僚と武人のいがみ合いはイカルガの伝統的特徴である。つけ込むにはいい足掛かりだ。 「ここだけの話だが」 だがここで、話がモタイの思わぬ方向へと転がり出した。 「俺は此度(こたび)の辻斬りの一件、エミシの者の仕業だと睨んでいる」 「ほう、エミシの」 意外な推測に内心ギクリとしながらも、平静を装い、知らぬふりで驚いてみせる。 「青二才とはいえ、カズマは腕は立つ侍であった。まあそれだけなら単に相手がカズマ以上の強者、で片付けてもいいのだが」 「そうではない理由があると?」 少し膝を進め、モタイが訊き返す。 「太刀がな、折られておったのよ」 刀を構える仕草をしながら、ヒデモトはそう明かした。
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