無重力の砂時計

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年末になると芸能事務所は忙しい。 いつものように事務所に行くと、所属タレントやスタッフが右往左往していた。 「忙しそうですね、社長」 「ああ、年末特番は終わったけど、新春のスペシャル番組があるだろ。撮りがおしててさぁ」 「そうなんだ。書き入れ時ってやつですね」 「理玖もテレビ出て見ない?俳優デビューとかどうよ」 「えー、俺は売れないでしょ。写真ならうまく撮ってもらえるけど、動いたら興ざめすんじゃないですかね」 「そう?甘いマスクから飛び出す辛辣な言葉とか・・・・ギャップ萌で女性はキャーキャー言うと思うけど」 「なんすか、それ。会社のホームページ炎上したりして」 「そう云うの結構わきまえてるでしょ。君は結構人見て話すし、案外世渡り上手って気がするけどね」 「買い被り過ぎですよ」 大勢の男たちの中で、緊張感のある取引きなんかも何度も経験した。あの手に汗握るような命のやり取りを経験していれば、芸能界の世渡りなど軽いものだろう。 でもこの業界に長くいて身を立てていくというビジョンが浮かばない。自分のいる世界ではないような気がしていた。 「俺はモデルだけでいいですよ。『SARAI』の専属のギャラもいいですし」 「いつまでも専属だと思うなよ。歳を取ればお払い箱になるんだからな」 「そしたらアパレルの方に行きますよ。服とかファッション好きだし」 「そんな甘い世界じゃないって・・・・」 「それを言うなら芸能人だってそうでしょ?」 「何億も稼げる大物になれる可能性だってあるぞ」 「それは一握りの人間でしょ。俺はそれ程夢見がちじゃありませんよ」 現実ってのを嫌というほど見ている。裏の社会から見れば芸能界も危うい世界だ。夢を追いかけて潰れて裏に落ちてくる人間なんて大勢見てきた。 「案外硬いんだよな。若いのに夢がない」 「夢なんて見るのも飽きました」 「枯れてるね」 「どーも」 ここ二週間、ストーカーにあっていることの方が問題だった。 香奈に付きまとっている奴かと思っていたが、一緒にいない時でも自分についてくる。 見た感じは男に見えた。 「男に付きまとわれるってどういうこと?二丁目に出入りしてるから惚れられちゃったかな?それとも襲ってやるとか思われてる?まさかな・・・・」 香奈のストーカーでなければ一安心だ。自分なら護身術は心得ているし、滅多な男には負けない。相手が素人なら尚更、こっちは玄人だ。
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