Chapter1

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 広々とした大学の構内。その中央に伸びた銀杏並木。秋になれば一面暖かな黄金色になるこの通りも、梅雨明け直後は爽やかな緑に覆われていた。  銀杏の葉が作る木漏れ日が目に快い。通りの両端には点々とベンチが置かれ、学生たちがおのおの休んでいる。ある者は横になり、ある者はパンをかじっている。  その中の一人、浅川奈緒(あさかわなお)も、銀杏の木陰にわずかな涼を求め、ベンチでくつろいでいた。  美容院に行く暇がなく、すっかり伸びてしまった前髪を鬱陶しげによけると、大きなアーモンド形の瞳が目立つ。  黒目は大きく、黒が濃いため、瞳だけ見ると幼い印象を与えるが、細面の輪郭や筋の通ったツンとした鼻の形が、『可愛い』よりは『綺麗』と思わせる。  整った顔は小さく、身長は平均より大分高い。手足はスラリと伸びて、大抵の人間は奈緒のことを『イケメン』と言ってくれるだろう。  しかし本人は、自分の見た目が平均点よりかなり上、ということを意識していない。今も前を通る女子学生がチラチラと自分を見ていることに気づかず、その整った顔を平気で仏頂面にしている。  奈緒には、人の目など気にしている余裕がなかったのだ。  引きちぎる勢いで、首を絞めつけるネクタイを緩めた。それから、近くの自販機で買った冷たい炭酸飲料を呷る。五百ミリリットル入りのペットボトルを一気に半分まで空け、やっと人心地つく。  こめかみから伝う汗を、繊細な女顔に似合わぬ豪快さで拭った。 (……くっそ~、スーツは暑いんだよ!)  この暑さの中、着たくもないリクルートスーツを着ていれば、どんなイケメンも格好つけてなどいられないだろう。  奈緒は、自分の横に放り投げたスーツの上着と分厚いB四サイズの封筒を、これでもかと憎々しげに睨んだ。B四サイズの封筒は、この炭酸飲料が飲み終わったら一緒にゴミ箱行きになる予定だ。  ため息を吐き、銀杏の枝を仰ぎ見る。銀杏の葉の隙間から零れる日の光は、すっかり真夏だ。世間や多くの学生は、夏休みを目前に浮かれている。  それに比べ自分は、なんと寂しい大学四年の夏だろう。  本日、就職面接のために出向いた会社は、記念すべき三十社目の企業だった。そしてこれから捨てる予定の封筒は、その一つ前の企業、二十九社目の企業のもので、すでに不採用の連絡があった。
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