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ドア近くでオロオロする、モカの女性マネージャーを見つけ、嵐が彼女の腕をこっそり突いた。
「おはようごさいまぁす。モカちゃん、どうしたんですか?」
嵐が声をひそめて訊くと、マネージャーも小声で答えた。
「あ、おはようございます。それが……相手の男優さんがモカの大嫌いな方で、ブチ切れちゃったんです。それと……一昨日彼氏と別れちゃって、それでずっと超不機嫌なんです」
マネージャーの耳打ちに、奈緒と嵐は、ああ~、と唸った。
おそらくモカが荒れているのは、九対一で失恋のせいだ。
「モカちゃ~ん、そんなこと言わないでさぁ、一本だけだから我慢してよ~。SM出来る男優さんでスケジュール合わせて貰えたの、彼だけなんだよぉ」
毎度のことながら、女王様のご機嫌取りは万里の仕事だ。万里を敵視する嵐も、さすがにこれには頭が下がるらしい。
「い~や! イヤったら絶対にイヤ! 無理言うなら引退してやる!」
モカが一端機嫌を損ねてしまうと、手がつけられない。
仕事中でないモカ、つまり瞳は、奈緒の知るところではサバサバした気立ての明るい女性だ。プライベートの瞳は、決して気分屋ではない。
瞳が奈緒にだけ語ったところによると、彼女は男ばかりのこの業界でのし上がっていくうちに、青山モカ、という女王様を勝手に演じるようになってしまったらしい。強い女性でなければやっていけない世界なのだ、とも瞳は話していた。
奈緒は万里に当り散らすモカを、心配そうに見つめた。
その気持ちが届いたのか、モカが奈緒に気づいた。すると吊り上っていた大きな瞳が、少しだけ和らぐ。
瞳の表情が和らいだことに安堵した奈緒だが、ナンバーワン女優青山モカは、ニヤリと笑んで、おいでおいでと二人に手招きをした。
美女に微笑まれたというのに、奈緒と嵐は青くなった。
あの笑顔は――危険だ。
モカの機嫌が上向きになったのを察知した万里が、大きな動きで二人を呼ぶ。
「こら! 新入社員! 女優さんが呼んでるぞ!」
さっそく正社員雇用につけ込まれ、嵐が顔を引きつらせる。
「俺らまだ、正式に入社してないっすよ!」
二人は四月一日付で社員になる。正当な抗議のはずだが、それは女王様に一蹴された。
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