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 彼は姓を元(げん)、名を林宗(りんそう)と言った。ここ随州の[冫+食]霞楼(さんかろう)に暮らして十数年、未だ少年ではあるものの、生まれながらの道士であった。  その夜、彼はいつも通り就寝前の見回りをしていた。世間一般には若輩である彼でも、ここサン霞楼では年長であり、その一切の管理を任されているのだった。 (今夜は霧が深いな。加えて風も強い。また何か紛れ込まなければ良いが……)  山門の閂が下りていることを確認しながら、背中に伸ばした三つ編みの髪を撫でる。しっとりとした露が手についた。サン霞、と言うだけあって、ここでは霧がよく発生する。それに紛れて無断で中に入り込む輩も年に数人、必ずいるのだった。 「……早いところ、修繕するべきかな」  濡れた手を腰帯で拭き取りながら、ポツリ、呟いて山門横の塀を見る。そこには物の見事に崩壊し、ただ瓦礫の山となってしまった塀の残骸がある。いくら山門を閉ざしていようが、これではただ境界線があることを示すのみ、子供だって簡単に出入りできる。やれやれ、これがかつては召されて官位も授かった者の居城かと思えば、弟子の身の上ながらなんだか物悲しい。  門の向かいには霊廟が一つ。しかしその左右と更に奥に、霊廟よりも大きな屋根が続いているため、扁額に「老子廟」と無ければ倉庫か何かと見紛うだろう。元々古びていたものを素人が補強したらしく、もはや雨除けとしても機能すまい。  元林宗は回廊に沿って歩みを進める。途中でいくつか部屋を覗き込んだ。だだっ広い部屋の中にいくつもの机と椅子が並んでいるだけの部屋だ。それがいくつも連なっている。用途を知らぬ人間が見たならば何かの作業部屋と思うだろう。元林宗はその一つ一つに足を踏み入れ、中に誰もいないことを確認する。  ふと、何かを聞いた。部屋の戸を閉めながら耳を澄ます。誰かが騒ぎ立てる声のように聞こえた。 (まだ起きている奴らがいるのか。仕方のない奴らだ)  溜息一つ、元林宗は特に焦るでもなく急ぐでもなく、変わらぬ足取りで声のする方角へと足を向けた。
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