宰嗚様(1)

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僕の両親は、ちょうど群馬県と栃木県の県境近くの山奥にある小さな集落で生まれ育った。 父親が母親よりも7歳上の幼馴染だそうだ。 いまでは珍しいかもしれないが、山奥の田舎では幼馴染が一緒になるのは当たり前で、親戚同士が結婚することも普通にあったそうだ。 両親が生まれ育った集落は、1610年(慶長15年)に幕府直轄の鉱山として足尾銅山が開拓された頃からずっとその地域にある集落のひとつだった。 両親の家は一番村人が多い集落からずいぶんと離れた山奥にあったため、いくつかある集落の中でも特に小さな集落だった。 しかし足尾銅山が栄えていたころに造られた立派な建物も多く、何もない山奥の集落には似つかわしくない立派な調度品が数多く残っていた。 また、集落の女たちは怪我や病気で男手が無くなっても生活できるよう、はた織りで収入を得ていたため、必ずと言っていいほど、どの家にも立派なはた織り機があった。 男たちは銅山で働き、女たちは養蚕で家を支える集落だった。 僕の両親は二人とも母子家庭で、どっちの父親も両親が小学生の頃に亡くなっていた。 そして、僕が小学校2年生の冬に父方のおばあちゃんが、高校3年生の夏休みに母方のおばあちゃんが亡くなった。 おばあちゃん達の葬式は街や都会では見たことのない、まるでお祭り騒ぎで子供心に楽しかった。特に父方のおばあちゃんの葬儀自体が、大きなお祭りみたいで楽しかった。 葬儀では、大きな竹で編んだ丸い籠を竹竿の先に取り付け、その中に和紙で包んだ新品の10円玉を入れ、シャンシャンと竹竿に付けられた鈴を鳴らしながら、竹竿を高く掲げて村を練り歩いた。 シャンシャンと鈴の音が聞こえると、竹竿の籠を大きく揺すりながら歩く大人の後ろを子供たちや近所の人たちがついて歩き、籠から落ちてくる和紙に包まれた10円玉を拾うというものだった。 和紙に包まれたピカピカの10円玉が嬉しくてしょうがなかった。 他にも棺桶を集落の男衆が神輿のように担ぎ、グルグルと家の前を円を描くように何周か歩いてから霊柩車に棺を入れるなど、とにかく集落の葬儀は賑やかだった。
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