急いては事を仕損じる

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 杉浦伊周と柏木美和は、灰原鳴海というヤクザのブレーンだ。灰原は東条組の実行部長だったが、最近はその立場が微妙になっている。詳しくは聞かされていないけれど、どうも実行部長は解任されたらしい。それが降格なのか昇格なのか杉浦たちには分からないが、今までの灰原は組を持たないただの実行部長という立場だった。だから、灰原配下のメンバーたちは極道の構成員ではなく、灰原が実行部長としての「職務」を果たすために集めた「手駒」の一部だった。でも、このまま灰原が組を持ってしまうと、彼らはみんなヤクザそのものになってしまう。もちろん今までと特に変わりはないけれど、要は心構えの問題だ。 「なにかされた覚えはありませんが、我々は元からそう相性が良かったわけではなかったじゃないですか。ただそれだけの話ですよ」 「それだけの話?」 「ええ、それだけのことです」  すると柏木は、そこで会話を打ち切った杉浦の横顔を見つめ、少年のような顔で少し笑った。 「伊周はさぁ、どうしてこの世界に入ったの? きみはお育ち良いだろうに」  人当たりは柔らかいくせに、柏木には底が知れない恐ろしさがある。もちろん、まともな神経ではないから灰原のブレーンなんかしているのだろうけれど、顔だけを見ていたらアイドルの少年のようなのだ。その見てくれのせいで、柏木に関わるほとんどの人間が欺かれる。無害な男だと騙される。  一方、その銀縁メガネが与える印象を裏切ることなく常にツンケンしている杉浦は、仕事以外で話しかけてくる人がほとんどいない。バーテンの中野渡アゲハは人好きなせいかあれこれ構ってくるけれど、せいぜいそのぐらいだ。接客プロ意識ばりばりの中野渡はいいとして、気紛れに無駄口を叩く柏木が杉浦は苦手だ。 「別に───私の家は普通ですよ」  杉浦は話しかけるなオーラを全身から放っているけれど、柏木にはいつだって通用しない。 「ふーん、そうなの? 親御さん、過・保・護って感じがしてたんだけどね」  こういう柏木の言い方に杉浦はいつも苛々する。この前のクリスマスの時にしても、今年は久々に一人で自由を満喫しているなんてにこにこ笑って言い、杉浦と那須の神経を逆撫でしたのだ。あの後、おそらく那須は風俗にでも行ったのだろう。一人が嫌なら杉浦も那須に倣えばいいだけの話だが、それはとてもできそうにない。
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