1 訪

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「ありがとう。でも悪いから」 「今更、何だよ。酒でも付き合いな」  そういって冷蔵庫から缶ビールを二本出し、DKのテーブルの上に載せる。 「座ったら」  とキャリーバッグの近くに所在無く立ったままの薫に勧める。 「ホラ、わたしも座るからさ」  とシンクの側にわたしが座る。  薫用のパイプ椅子は対面だ。 「じゃあ、失礼して」 「殺風景な部屋だろ」  薫が座るとわたしが言う。 「本だけはあるけどね」  左の壁ほぼ一面が本棚だ。 「前に来たときに見せてもらったから。でも減ったのね」 「二駅先に気に入った古本屋を見つけて大分売った」  それで、かなり隙間がある。 「珍しい本が多かったのを覚えているわ」  そうでもないだろ、と思いつつ本棚に目を遣り、焦点が合ったのはエリザベス・ボウエンの『最後の夜・りんごの木』だ。  その横にはアンナ・カヴァンの『アサイラム・ピース』がある。  やれやれ。  始末できなかった本たちだ。 「薫、語っていいよ。あるいは語らなくてもいいけど」 「うん」  薫は首肯いただけだ。  仕方がないので、わたしが話す。 「本当は別の人のところに行きたかったけど、セキュリティーチェックに阻まれた。あるいは、ここにそれがないことを知っていたのでやって来た」 「二択なら後者ね」 「わたしは頼りにならないぞ」 「もうすでに十分頼りになってるわよ」 「恋人に追い出されたとか」 「ご想像にお任せするわ」 「自宅に帰れば」 「いずれはね」 「働いてないの」 「この間、辞めたの」 「優雅だね」 「そんなことないわよ」 「次の就職先は」 「決まってるけど、一月延ばしてもらったわ」 「病気かなんか」 「病気と言えば、そうかな」 「見たところ身体の方じゃなさそうだから精神か」 「言ってもいいけど驚くわよ」 「じゃ、聞かない」 「それなら、あたしも言わない」 「いつまでいる気」 「できれば、しばらくの間」 「しばらくか」 「ダメかな」 「三日以上いるなら金を払えよ」 「月島さんなら言うと思ったわ。じゃあ、一月弱、頼みます」 「いいけど、彼氏用の布団しかないわよ」 「ゲッ、月島さん、彼氏いたんだ」 「おい、そこで驚くなよ」  そうして、わたしたち二人の同居生活が始まる。
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