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葉月は総に向かってくいくいと手招きした。総は床に膝で立ち、ずるずる居ざるように葉月に近づいてきた。それはまるで見えない糸で引っ張られている操り人形のようにも見えた。
「じゃあ、取り敢えず抱きしめていいか?」
腕を回すだけで簡単に抱きしめられる距離になった時に葉月が言った。なんの反応も返さない総を、自分も床に膝で立つようにして抱きしめた。
「───総くん……俺がきみを大事にする……俺はきみしか見ない……」
硬直した身体から力が抜けたのは、抱きしめられてから何十秒も経ってからだった。
「…葉月先生……僕…貴方がどこまで僕に付き合ってくれるのか試したいと思っていたりするぐらい性格が悪いんです」
「いいさ」
葉月は即答した。
「試したいってのがきみの望みならいい───どこまでも付き合おう」
新しい関係が始まった。
気が遠くなるほどゆっくりした歩みになるのは目に見えていたけれど、葉月の覚悟はあっさり決まった。十五年以上前から望みのない片想いを続けてきた葉月にとって、大いに望みがある総との恋愛は、どんなに時間がかかっても構わなかった。いや、それどころか、長くかかればかかるほど、楽しいんじゃないかと思うぐらいだった。今だって、上手くいかないことが楽しい。
試されることすら即答で受け入れてくれた葉月を、もはや総も受け入れざるをえなかった。望みのない恋にずっと苦しんできたのは総も同じだ。目の前にある、愛してくれる可能性が極めて高い相手の手を拒むのは至難の技だ。
何度も何度も躊躇ってから、総は葉月の身体に腕を回した。自分から抱きしめることさえ初めての経験で、たった一歩を踏み出すことすら総には多大な決意が必要なのだ。
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