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「総くん、ちょっとアメリカに行くことになった」
席に着くなり葉月が言った。
「旅行ですか」
「仕事だ」
「出張ですか? 学会ですか?」
総の問いかけに答えず葉月はウェイターを見上げた。
「適当にコースで頼む───ああワインも任せる」
「かしこまりました」
いつも葉月はこの店でこういうアバウトな頼み方をするのだろう、ウェイターは馴れた様子で微笑んでから下がった。
「……長くなるんですね」
テーブルの上の布のナプキンを膝にかけながら総が言った。
「ああ」
どのぐらいとは訊けなかった。訊けば答えてくれるだろうし、きみには詮索する権利がないなんて言われないだろうけれど、情緒不安定な女みたいなことを総は口にできない。総はいつだって心のままに話すことはない。感情を相手にぶつけることもない。ただ一人、日下葉月を除いて。
「巽にも言っておいた方がいいと思うか?」
「───さぁ、どうでしょう。ご自分でお決め下さい」
「アドバイスぐらいくれてもいいだろ」
「僕は葉月さんが欲しがっている言葉は言いません。貴方は僕に『ぜひ知らせてあげて下さい』と言ってもらいたいのでしょうけど───巽さんのことです、葉月さんが半年や一年いなかったぐらいで、国内にいないことにすら気づかないかもしれません」
「……奴ぁそこまで鈍いのか?」
「ええ」
断言するように総が言うと葉月は思わず苦笑した。
「きみに言ったことあったかな……たぶん無いと思うが───俺は前は外科全般をやってたんだが、なにかの時に脳外の助手に入ったんだ……確か急患が立て続けにあって、脳外の医者がみんな執刀医として手術室に入ってて、それで外科から誰か助手についてくれってことになったらしいんだが、外科の人間が俺しか残っていなくてな……それからたまに脳外に出入りするようになった」
「普通の外科からいきなり脳外科に回ったりできるものなんですか」
総には葉月の言っていることがあまり理解できない。
「ああ…まぁ……医師免許さえ持ってたらなんでもできるんだ……ちゃんとした手術や診察ができるかどうかは別にしてだがな」
葉月はテーブルのグラスに手を伸ばした。食前酒もお任せだ。
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